きつね丼/信太丼

ミンチカツ。

東京はメンチというらしいが、大阪では絶対に「メンチ」と言わない方がいい。

横に怖いお兄さんが立ってたりすると大変なことになる。

「メンチ下さい」

(`□´)「なにぃ~、こらぁ、メンチきるんかい!ええ、根性しとるやんけ。ちょっとおいで」となる。

大阪ではメンチ=眼付けね。


木の葉丼。

「なにぃ、大阪もんは葉っぱ食わすんかい」と怒らんでもよろしい。

木の葉丼は、玉丼の発展形というか、蒲鉾&油揚げが具材の玉子丼ですねん。

蒲鉾&油揚げが木の葉に見えるんで、そんな名前になったらしい。

「蒲鉾が葉っぱに見えるわけないぞ!」と言わないで。

「僕ら生まれ変わった木の葉のように」と呟いてアレン・ギンズバークが、「泣いてもええで、泣いて

も?」と言いながら食ったという話はありません。


で、きつね丼。正確にはケツネ丼。

きざんだ油揚げが一面に載っている丼です。これも東京では見ないと思います。

大阪では、きつね丼のことを、信太(しのだ)丼と呼んだりもします。

信太というのは、大阪府和泉市信太山にある信太の森のことです。


信太妻伝説で有名な葛の葉稲荷神社があります。森の白狐「葛の葉」が安倍保名と結婚し子をなします

が、正体がばれて姿を消すという哀しいお話。

神社にはいまも、葛の葉が残した、「恋しくば 尋ねきてみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉」とい

う句碑があります。

そのとき生まれた子供というのが、陰陽師安倍晴明


  恋しくば 尋ねきてみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉


私は小学生高学年の頃、偶然テレビでこのフレーズを聞いて変に懐かしい気持ちになったのをよく覚えて

います。それから、ずっと耳に残っております。

懐かしさと同時に、多分この感覚は他の人も一緒とちゃうやろか?そんな気がしました。


彼女(白狐)は、ついうっかりと我が子に大きな尻尾を見せてしまい、狐であることが露見したのを恥じ

て<向こう側>に行ってしまう。

この<向こう側>への懐かしさが、私を捉えたように思います。


こんなふうに、「いうにいわれない世界」を何とか言い表そうとするような歌を中島みゆき三上寛に感

じたりします。ビリー・ホリディの歌声やアルバート・アイラーの「サマー・タイム」でも感じました。

ようするに命の底が抜けた所からまだ先。そんな所から聴こえて来るような音はみんなそう感じます。


説教浄瑠璃の若松若太夫という方がおられました。その人の『恨み葛の葉』。

「恋しくば 尋ねきてみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉」

「伏したる童子を抱きあげ、言わんとすれどせぐりくる、涙が声に先立って、しばしィ~むせびていたり

しがァ~」

「恥ずかしや、あさましや、年月むつみしかいもなく、己の本性あらわして・・・」


1974年、東京は板橋区。妻に先立たれ、二人の小学生の子供を抱えながら、肝硬変で何度も倒れながらも

酒浸りの日々を送る松崎寛という盲目の人がいてはりました。

戦争で息子を失くし、街はすっかり変った。男は「もうやめた」と三味線を捨て、なれない会社勤めを始

めるが、寂しさを紛らわすために酒に走りはりました。

青木久子さんという板橋区のヘルパーとの格闘で蘇えった人が二代目若松若太夫さん。

地獄を見た人。

地獄で見た「いうにいわれぬ世界」にコトバをとどかせるべく、満身の気迫で声を絞り出されます。


◎初代の若松若太夫さんがちょっと聴けます→http://denshouuta.cool.ne.jp/page053.html

折口信夫の『信田妻の話』。信田妻伝説と太古からの土俗習慣の関係のもの凄い分析があります。



なんや、きつね丼が食いにくくなってしまいました。

それに、前ふりばっかりで本題がおもろないのは安モンのお笑いですさかいなあ。

ごめんです。