腐っても鯛~林芙美子は辻潤の事をそう云った

昭和4年。貧乏で全く無名であった詩人の処女詩集に辻潤石川三四郎とともに序文を書いている。

詩集の題名は『蒼馬を見たり』、著者は林芙美子


辻は「あなたが、ニセ物の詩人でないということがなにより先に感じられるのです。あなたは詩をからだ

全体で書いています。こういったら、もうそれ以上のことはいわないでもいいのかもわかりません。あな

たにはかなりな独創性があります。真似をしたところが見えません。それに情熱と明るさがあってキビキ

ビしたところがあります。」と序を寄せている。

また、『癈人の独言』の中に「林芙美の芸術と、その味わいと、朗らかさと、温かさは、彼女の体験の生

んだものだ。彼女はたしかに彼女の貧乏を征服して生きてきたのだ」とも書いたりしている。


辻は、林芙美子の清貧で純情で独創的であった所や、粗野で土臭さのある所に好感を持ったようだ。

瞬間、私には伊藤野枝の影が浮んだりもする。


林芙美子も、松岡虎王麿という阪神タイガースの親玉みたいな人物が経営する「南天堂」という店で、辻

岡本潤壺井繁治などとさかんに交流もしている。


『放浪記』は林芙美子出世作。『青馬を見たりの』の翌年の出版。

林がプロレタリア文学などに影響されることもなく、その半生において奔放自由に生きた果報者として

『放浪記』を書き上げた。それが、林芙美子という人の魅力だ。

そして、その一つの要因として辻や南天堂的な人々との交流があったように思う。


辻は、世にプロレタリア文学など金輪際存在しないと言い切っていた。


『放浪記』の成功で林芙美子の何かが変わった。

成功を手に林がパリ行きを言い出した時、辻はこう書いた。

「君が、単身パリに出かける勇気を僕は感嘆するものではあるが、あながち賛成するものではない。…と

にかく、昔、自分の認めた人間が、所謂大いに『売り出した』ことに、自分としても鼻の低かろう筈はな

い。だが、芙美子君よ。君はどこかで、僕のことを『くさっても鯛だ』といったそうだが、それはすこし

生意気で、君も結局『女人か?』と、僕をして感嘆を発せしめた。自分は、まだ『くさって』はいないつ

もりだから安心してもらいたい」


当然だけど、この事を林芙美子の裏切りだとか、辻の妬みだなんて思ってはいない。


林芙美子はパリで辻の訳した『唯一者とその所有』を愛読したそうだ。

私は、林芙美子は『放浪記』、『飯』、『浮雲』しか読んでいない。評伝や芙美子研究のようなものも読

んではいない。

しかしこの三冊に、人間の既成概念をとことんまで転覆させ、骨の髄まで揺さぶるようなシュティルナー

的思考を感じることはなかった。


『放浪記』の成功は、林にとって、売れているという商品的な価値と自分自身の価値とを混合させるよう

な出来事だったように思ったりする。

林芙美子は、いくつもの連載を抱えたまま心臓麻痺で短い生涯を閉じた。


辻潤シュティルナー同様に「無思想」という「思想」なのかも知れない。

「無思想」と「無思想という思想」は薄皮一枚で決定的に違うということなのだろうか?


それが、林芙美子辻潤の違いかも知れない。