Mの出家・・・宮嶋資夫

辻潤に『Mの出家とIの死』があります。


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この間静岡方面へ旅をした帰途沼津にI氏を訪ねて、宮島君の天龍寺入りを聞いた・・・辻潤がきたら、

これを見せてくれといって、もちろん随筆で二、三枚書き残したものをI氏が見せてくれた・・・一枚に

は「辻潤文青 ウラ哲野狐禅 無想庵サイノロ」これに文句があるなら、やって来い、いつでも相手にな

ってやるからというような如何にも宮島君らしい駄々ぶりを発揮していた。「文青」というのは、僕が

「文学青年」だということなのだ。

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こんな書き出しです。

『Mの出家とIの死』のMが宮嶋資夫でIが生田春月。

M=宮嶋は出家し、I=生田は自殺。どちらも拒否した辻は餓死。そんなところ。


宮嶋資夫。いろいろあったけど小説『坑夫』を上梓し、その後を摸索中のこと。

叡山に辻潤武林無想庵がこもっていると聞き追いかけて叡山に入っている。

叡山で辻潤シュティルナーの『唯一者とその所有』の訳に本格的に入り、無想庵は大講堂から『大蔵

経』を引っ張り出して片っ端から読んでいたそうだ。

宮嶋資夫は五歳の子供を頭に三人の子供と嫁を抱え、ここで職業作家として食っていけないのなら、神戸

に出て沖仲士になろうと思っていた。


宮嶋資夫のこの辺りの落差が好きであります。職業小説家が駄目なら沖仲士。

べつにどっちでもいいよという構えのようなものが。


そんなんで、辻潤の周辺の人の中でもやはり好き嫌いは出てくる。

宮嶋資夫、伊藤るい(ルイズ)・・・とええなあと思う人の事書いて行こうと思う。

宮嶋資夫や高木護はその職業遍歴がもの凄くいい加減なのが私と似てるので特にお気に入りだ。


まずは、宮嶋資夫第一弾。第二弾の保証はない。そんなに読み込んだわけでもないから。

伊藤野枝大杉栄の元に走った時、友人の辻潤を思い伊藤野枝を番傘で打った男。ついでに師匠的な存在

である大杉栄を足蹴りにした男。神近市子に好意を持たれていたらしい男。

宮嶋資夫のその当時のあだ名が「山犬」。


関係ないけど、神近市子翻訳のオスカー・ワイルド『獄中記』は、大正時代の兵役で持ち込み禁止となっ

たが、シュティルナーの『唯一者とその所有』は大丈夫だったそうだ。何しろ辻潤の訳本の題名が『自我

教』だったため、仏教の本とみなされたらしい。

権力者も時々は間抜け。


出家前の宮嶋資夫の代表作『坑夫』がありましたので、興味のある方はどうぞ。

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/miyajimasukeo02.html


◎伊藤ルイさんは大杉栄伊藤野枝の間に生まれた方ですが、辻潤と直接の交流はないです。

◎『坑夫』なんて題名なんでよく誤解されますが、宮嶋資夫はプロレタリア文学って何、そんなもんあ

 るわけもないという人です。