酒癖・・・宮嶋資夫

宮嶋資夫は1886(明治19)東京生まれ。

よくあるパターンだが、幼年期は裕福だったがその後傾く。これが原因で暗~くなった家と絶えない夫婦

喧嘩の中で、宮嶋の心は作られてきたように思う。


家が傾いたのと、成績があまりよくなかったこともあって、小学校卒業後まず砂糖問屋の小僧を手始め

に、三越呉服店の小僧、歯科医見習い、土方、牧夫、砲兵工廟の機関係、広告取り、タングステン鉱山の

現場員、米取引、金貸し手伝い・・・と職業も転々としている。


どうも、職業を転々とする人が好きな傾向が私にはあるようだ。類は何とかかも。


宮嶋はもの凄い頑丈な体と、極端な「死にたい病」と「死にたくない病」を併発した頭を持っていた。

なぜ仏門に帰依したか?…自分でもわからぬが、もともと仏教が好きであったと答えている。


で、天龍寺で禅僧、宮嶋蓬州となったわけだが、一向に心が軽くなることもない。むしろ、揺れ方は前よ

り激しくなっている。「死にたい病」が強くなっていた。

そうなると酒。宮嶋はほぼアル中状態となり、天龍寺を追い出される。


とにかく宮嶋という人は酒が入ると豹変する。


大泉黒石が、天龍寺にいる宮嶋に会いに。宮嶋は涙を流すほどに喜び、話がはずむにつれ、一杯やろうと

京都の新京極にくり出す。

ベロンベロンの宮嶋を抱えて寺に帰る黒石に、酔った宮嶋が唐突に噛み付く。

「貴様のような奴が生きてるから、日本の文壇は駄目だ。全く貴様はどしがたき奴だ。貴様の根性を入れ

直してやる」と黒石をボコボコにする。這って逃げる黒石を追いかけて、また蹴っ飛ばす。最後には天龍

寺の門の前のどぶに叩き込む。

大泉黒石は、あいつは僧堂に入ってまで全く根性が変わっとらん。「腹が立つより情けなくて」…とその

場でワアワア泣き出したという。

平常の宮嶋は善良かつ優しさの権化のような人物であったのだけども。


・・・大泉黒石についてはこちらを→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/15347113.html


晩年、宮嶋は禅宗から浄土真宗に転じている。その辺りの心の動きはよくわからない。

1951年(昭和26年)に宮嶋は死ぬ。


もはやロレツのまわらなくなった口で「万才!」と叫んだそうだ。


宮嶋資夫は遍歴を重ねている。自著に『遍歴』という作品があるぐらいだ。

遍歴の中で、しかし宮嶋という人は全くブレてない。自我に執着し続けたけど、安直に何者かに自我を預

けるようなこともなかった。その分非常に見苦しかったりもしたけど。

どうも、どこに居ても居心地が悪くてウロウロするも、結局何も解決するわけでもない状態。

ただ浮浪というのとは少し違うように思ったりする。どこか自分の落としどころを探し続けていたよう

な人、そんな風に思う。


宮嶋の最後のひと言「万才」。私には「終わったぁ~」と聞えたりする。


◎『評伝宮嶋資夫~文学的アナキストの生と死』 森山重雄(三一書房

◎『遍歴』宮嶋資夫(「宮嶋資夫全集」慶友社)


私のブログで紹介する本はいつも絶版・・・m(__)m