辻潤の年譜
まだブログを続けるつもりでおりますので、年譜を自分なりに作れればと思っております。
「辻潤が何かというのは、子息のまことさんもいっておられるように、彼の著作を読む者たちがそれぞ
れ、勝手に判断すればいいことである。たとえば、彼の読者が百人いるとすれば、百通りの辻潤像ができ
ーつの意味かも知れない」・・・高木護。
大正2年(1913) 30歳
9月、長男一(まこと)生まれる。時々、サンジカリズム研究会に顔を出す。
9月、長男一(まこと)生まれる。時々、サンジカリズム研究会に顔を出す。
大正3年(1914) 31歳
12月、ロンブロオゾの『天才論』を植竹書院から出版。
12月、ロンブロオゾの『天才論』を植竹書院から出版。
大正4年(1915) 32歳
1月、野枝が『青踏』を引き継ぐ。8月、次男流二生まれる。
1月、野枝が『青踏』を引き継ぐ。8月、次男流二生まれる。
大正5年(1916) 33歳
3月、『青踏』終刊になる。㋃、野枝が大杉栄の許にはしる。
下谷区北稲荷町に住み、「英語・尺八・ヴァイオリン教授」の看板をかけ「パンタライ社」と称する。
11月、武林無想庵の紹介で比叡山に上り宿坊生活を送る。そこで野溝七生子と出会う。
3月、『青踏』終刊になる。㋃、野枝が大杉栄の許にはしる。
下谷区北稲荷町に住み、「英語・尺八・ヴァイオリン教授」の看板をかけ「パンタライ社」と称する。
11月、武林無想庵の紹介で比叡山に上り宿坊生活を送る。そこで野溝七生子と出会う。
大正7年(1918) 35歳
5月、デ・クインシィの『阿片溺愛者の告白』を三陽堂書店から出版。
11月、マコウアの『響影』を三陽堂書店から出版。
5月、デ・クインシィの『阿片溺愛者の告白』を三陽堂書店から出版。
11月、マコウアの『響影』を三陽堂書店から出版。
大正8年(1919) 36歳
9月、ワイルドの『ド・プロフォンディス』を越山堂から出版。
9月、ワイルドの『ド・プロフォンディス』を越山堂から出版。
大正12年(1923) 40歳
2月、新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』を編集、中央美術社より出版。
川崎の仮寓で小島きよと同棲。9月1日、川崎で関東大震災に遭う。四国・九州の旅に出る。
9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の三人が甘粕憲兵大尉に虐殺される。
11月、秋生生まれる。
2月、新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』を編集、中央美術社より出版。
川崎の仮寓で小島きよと同棲。9月1日、川崎で関東大震災に遭う。四国・九州の旅に出る。
9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の三人が甘粕憲兵大尉に虐殺される。
11月、秋生生まれる。
大正13年(1924) 41歳
7月、蒲田の松竹撮影所裏の長屋に住む。卜部哲次郎らが出入りしカマタホテルとよばれた。
7月、『ですぺら』を新作社から出版。
11月、ムウアの『一青年の告白』を新作社から出版。
7月、蒲田の松竹撮影所裏の長屋に住む。卜部哲次郎らが出入りしカマタホテルとよばれた。
7月、『ですぺら』を新作社から出版。
11月、ムウアの『一青年の告白』を新作社から出版。
昭和3年(1928) 45歳
1月、読売新聞の第一回パリ文芸特置員として渡仏。
1月、読売新聞の第一回パリ文芸特置員として渡仏。
昭和4年(1929) 46歳
1月、帰国。
4月、『どうすればいいのか?』を昭文堂から出版。
この頃、小島きよと別れる。
12月、『螺旋道』を新時代社から出版。
1月、帰国。
4月、『どうすればいいのか?』を昭文堂から出版。
この頃、小島きよと別れる。
12月、『螺旋道』を新時代社から出版。
昭和5年(1930) 47歳
2月、『にひる』創刊。
11月、『絶望の書』を万里閣書房から出版。
2月、『にひる』創刊。
11月、『絶望の書』を万里閣書房から出版。
◎【年譜】いままで発表されたどの辻潤年譜よりも詳細かつ正確とされる年譜もあります。
→http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2243/TJ_Hibiki/Chrono2.html
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◎【青空文庫】「ふもれすく」や「自分だけの世界」が収録されております。
→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person159.html#sakuhin_list_1
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