辻潤の年譜

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辻潤の年譜です。

これは「虚無思想研究会」の『ダダイスト辻潤 書画集』を元にしております。

まだブログを続けるつもりでおりますので、年譜を自分なりに作れればと思っております。

辻潤が何かというのは、子息のまことさんもいっておられるように、彼の著作を読む者たちがそれぞ

れ、勝手に判断すればいいことである。たとえば、彼の読者が百人いるとすれば、百通りの辻潤像ができ

上がったとしても、なんの不思議もないのである。それだけ、辻潤辻潤でしかなく、辻潤という

ーつの意味かも知れない」・・・高木護。




明治17年(1884) 1歳 
 10月4日、辻六次郎・美津の長男として東京の浅草で生まれる。

明治25年(1892) 9歳
 父六次郎が三重県庁に転勤。伊勢の津に三年間住む。弟、義郎生まれる。

明治28年(1895) 12歳
 神田の開成尋常中学校に入学。

明治29年(1896) 13歳
 妹、恒(つね)生まれる。9月、開成尋常中学校を中退。

明治31年(1898) 15歳
 初代荒木竹翁の門に入り、尺八を習う。

明治35年(1902) 19歳
 日本橋の私塾会文学校で教鞭をとりながら、一ツ橋の自由英学舎に通う。

明治36年(1903) 20歳
 日本橋の千代田尋常高等小学校の助教員となる。

明治40年(1907) 24歳
 8月、新宿角筈十二社の「社会主義夏期講習会」に参加。

明治41年(1908) 25歳
 浅草の精華高等小学校で教鞭をとる。

明治43年(1910) 27歳
 1月、父六次郎死去。

明治44年(1911) 28歳
 4月、桜木町の上野女学校の英語教師となる。

明治45年(1912) 29歳
 生徒であった、伊藤野枝との恋愛事件で上野女学校を追われる。6月、野枝と同棲。婚姻届は大正4年 7月。

大正2年(1913) 30歳
 9月、長男一(まこと)生まれる。時々、サンジカリズム研究会に顔を出す。

大正3年(1914) 31歳
 12月、ロンブロオゾの『天才論』を植竹書院から出版。

大正4年(1915) 32歳
 1月、野枝が『青踏』を引き継ぐ。8月、次男流二生まれる。

大正5年(1916) 33歳
 3月、『青踏』終刊になる。㋃、野枝が大杉栄の許にはしる。
 下谷区稲荷町に住み、「英語・尺八・ヴァイオリン教授」の看板をかけ「パンタライ社」と称する。
 11月、武林無想庵の紹介で比叡山に上り宿坊生活を送る。そこで野溝七生子と出会う。

大正7年(1918) 35歳
 5月、デ・クインシィの『阿片溺愛者の告白』を三陽堂書店から出版。
 11月、マコウアの『響影』を三陽堂書店から出版。

大正8年(1919) 36歳
 9月、ワイルドの『ド・プロフォンディス』を越山堂から出版。

大正9年(1920) 37歳
 5月、スチルネルの『唯一者とその所有・人間編』を日本評論社から出版。
 11月、加藤一夫の「自由人連盟」に会員として名を連ねる。

大正10年(1921) 38歳
 12月、スチルネルの『自我教』(「唯一者とその所有」の完訳)を改造社(赤表紙)と冬夏社(青表
 紙)から出版。
 秋、詩人の高橋新吉が訪ねてきて「ダダイズム」の話をする。

大正11年(1922) 39歳
 6月、『浮浪漫語』を下出書店から出版。この頃ダダイズムについて講演。

大正12年(1923) 40歳
 2月、新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』を編集、中央美術社より出版。
 川崎の仮寓で小島きよと同棲。9月1日、川崎で関東大震災に遭う。四国・九州の旅に出る。
 9月16日、大杉栄伊藤野枝、橘宗一の三人が甘粕憲兵大尉に虐殺される。
 11月、秋生生まれる。

大正13年(1924) 41歳
 7月、蒲田の松竹撮影所裏の長屋に住む。卜部哲次郎らが出入りしカマタホテルとよばれた。
 7月、『ですぺら』を新作社から出版。
 11月、ムウアの『一青年の告白』を新作社から出版。

大正14年(1925) 42歳
 1月、『阿片溺愛者の告白』を春秋社から出版。
 7月、卜部哲次郎、荒川畔村らと「虚無思想研究」を創刊。
 9月、大泉黒石、新井格らを発起人として「辻潤後援会」が出来る。

大正15年(1926) 43歳
 4月、吉行エイスケ編集の「虚無思想」創刊。

昭和3年(1928) 45歳
 1月、読売新聞の第一回パリ文芸特置員として渡仏。

昭和4年(1929) 46歳
 1月、帰国。
 4月、『どうすればいいのか?』を昭文堂から出版。
 この頃、小島きよと別れる。
 12月、『螺旋道』を新時代社から出版。

昭和5年(1930) 47歳
 2月、『にひる』創刊。
 11月、『絶望の書』を万里閣書房から出版。

昭和7年(1932) 49歳
 4月、精神に異常をきたし幡ヶ谷の井村病院に入院。谷崎潤一郎北原白秋らが世話人となり「辻潤
 援会」ができる。

昭和8年(1933) 50歳
 7月、名古屋を放浪中に警察に保護され、東山寮精神病室に収容される。
 8月、目黒で警察に保護され、石神井の滋雲堂病院に入院する。

昭和9年(1934) 51歳
 9月、佐藤春夫萩原朔太郎らが発起人の「辻潤君全快祝う会」催される。
 10月、母美津死去。

昭和10年(1935) 52歳
 5月、松尾季子と同棲。
 『廢人の独語』を書物展望社から出版。

昭和11年(1936) 53歳
 5月、『孑孑以前(ぼうふら)』を昭森社から出版。
 6月、東京をたって放浪。

昭和12年(1937) 54歳
 6月、京都の松ヶ崎で警察に保護。岩倉病院に強制収容される。

昭和13年(1938) 55歳
 一所不在の放浪がつづく。

昭和16年(1941) 58歳
 12月8日の「真珠湾奇襲」勝利を聞きながら「降参党バンザイ」と叫ぶ。

昭和18年(1943) 60歳
 奈良の柳生村の芳徳寺でカノヴィッチの『美への追求』を完訳。

昭和19年(1944) 61歳
 7月、放浪に終止符。東京に戻り上落合の静怡寮に住む。
 11月24日。看取る者もなく死去、餓死。染井の西福寺に葬られる。

          

◎【年譜】いままで発表されたどの辻潤年譜よりも詳細かつ正確とされる年譜もあります。
 →http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2243/TJ_Hibiki/Chrono2.html


◎【青空文庫】「ふもれすく」や「自分だけの世界」が収録されております。
 →http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person159.html#sakuhin_list_1

◎【アナキズム図書室】「のつどる・ぬうどる」、「にひる・にる・あどみらり」が収録されてます。
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