天狗
左の画像は、辻潤が描いた天狗です。
その辻潤が天狗になったときの情景は、息子のまことの証言ではこんな具合だったそうです。
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俺がある日庭に立っていると、おやじが二階の手すりの所から、まこと、見ていろいま飛ぶからな、って
言うんだ。俺は、飛んでみろよ足が折れるゾ、って言うとほんとにパッと飛んだ。
もちろん足を折ったんだけれど、普通高い所から飛ぶっていうのは下にとびおりる、ということだろう?
それがおやじの場合はね、天に向かって飛びあがる、つまり飛翔する、という恰好なんだな、正気の
沙汰じゃないといってしまえばそれまでだけどさ。
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これは、息子の辻まことが異父兄妹の伊藤ルイに話した内容で、伊藤ルイの『必然の出会い』に書かれて
おります。
飛んだのは、1932年のこと。
その数年前、昭和4年(1929)に刊行された『どうすればいいのか』に辻はこんなこと書いてます。
辻潤はフランスから約1年でとっとと日本に帰って、大岡山でな~んにもしない生活です。
日本プロレタリア作家同盟なるものが結成された年でもあるみたいです。
人間が楽しく働くことが出来て、みんな食べられるようにならなければなりません。
それが出来ないうちは一切はダメの皮です。
いくらエラそうなことをいってもダメです。
問題はタダそれだけ、あとはことごとく枝葉 ―
なんにも知らない子供達を不幸に陥れるような世の中は呪われるべきです
少し考えて下さい ― 私はお酒が飲みたくなりました
『どうすればいいのいか/ダダの言葉』より
それが出来ないうちは一切はダメの皮です。
いくらエラそうなことをいってもダメです。
問題はタダそれだけ、あとはことごとく枝葉 ―
なんにも知らない子供達を不幸に陥れるような世の中は呪われるべきです
少し考えて下さい ― 私はお酒が飲みたくなりました
『どうすればいいのいか/ダダの言葉』より
辻潤が<天狗>になって、それから後の一所不在の浮浪を予感させる文章と思っています。
右か左かに属さないと駄目になったとき
どちらでもない
どちらもどうでもいい
だから、どこにも腰を落ち着かせることが出来なかったのではと思ったりしてます。