豚勝つ食べて馬勝ったってふる~い駄洒落ありました…とんかつ
ずいぶん(20数年)前の話。
滋賀県の草津に仕事で行ったとき、商店街外れの食堂で遅い(午後4時ごろ)昼ごはんを食ってた。
ステテコ姿の棟梁みたいなおっちゃんがガラガラっと入ってきて「カツ二枚と冷」の一声。
出てきた熱々のとんかつでコップ酒は旨そうやった。
「ソースをたっぷりとかけ、ていねいに衣と肉をはがす。肉を酒の肴にし、飲み終わったら、ソースのし
みた衣をほぐして飯と混ぜ合わせ食う。」と書いたのは池波正太郎。
何事も最後はオン・ザ・ライスで終わるのです。
以前読んだ『とんかつの誕生』岡田哲のメモが残ってました。カレーに続いて三大洋食のもう一つを。
ざっとした、誕生までの流れはこんな具合です。
本書では、昭和4にポンチ軒(上野)の島田信二朗が分厚い豚肉を揚げた"トンカツ"を持って、その誕生
としております。
【歴 史】
明治5年→「西洋料理通(仮名垣魯文)」で"ホールコットレッツ"の調理法紹介。
明治28年→煉瓦亭(銀座)が刻みキャベツをつけた"豚肉のカツレツ"を売りだす。
大正7年→河金(浅草)が"カツカレー"売りだす。
大正10年→早稲田の学生、中西敬二郎が"カツ丼"を作り出す。
昭和4年→ポンチ軒(上野)の島田信二朗分厚い豚肉を揚げた"トンカツ"を生む。
ということで、
明治5年(1872)、明治天皇の獣肉解禁から昭和4年(1929)にトンカツが誕生するまで60年という歳
月が流れているこっとになります。
明治初期の牛鍋がすき焼きにかわり、日本人の肉食への抵抗感が薄れて行く中で誕生した『トンカツ』の
ドラマ。
◎牛肉から鶏肉そして豚肉への変遷。
↓
◎薄い肉から分厚い肉への変遷。
↓
◎ヨーロッパ式のさらっとした細かいパン粉から、日本式の大粒のパン粉への変遷。
↓
◎炒め焼きからディープフライへの変遷。
↓
◎さらに西洋野菜である生キャベツの千切りをそえて
↓
◎あらかじめ包丁を入れて皿に盛り
↓
◎日本式の独特のウスターソースをかけて
↓
◎ナイフやフォークでなく箸を使って
↓
◎みそ汁(豚汁・シジミ汁)をすすりながら
↓
◎米で楽しむ和食として完成。
これだけの食の変遷に60年の歳月が費やされたのである。洋食という外来の食べ物を、執念で吸収・同
化していった文化はおそらく他国にはないと思える。
【肉食のタブーについての誤解】・・・これはどうなんだろう?
天武天皇は、仏教に熱心であり、仏教の教義をもとにした、殺生禁断、獣肉禁止の発 想から、ウシ・ウ
マ・イヌ・サル・ニワトリの肉食を禁じる勅令を発布する。
これらの禁令は1200年間も引き継がれ、日本の食べ物は獣肉から遠ざかり、タン パク源は魚介が中
心となる。
仏教には、本来は食べ物についてのタブーはない。流転輪廻の思想から、生き物を傷 つけること、殺す
ことを避けようとしてきた。人も動物も同じと見ているから、折衝 したときの報いをおそれている。同
じ生き物でも魚介類は別であり、これは仏教の殺 生戒の矛盾点と言われる。
同じ仏教でありながら、中国では、日本のような殺生禁止令はでていない。これは極 めて日本的な禁忌
として長く残ったものである。
日本・中国・朝鮮半島では全く異なった肉食文化を形成しているが、独自の折衷による「洋食」を作り
出したのは、日本だけである。
・・・ということらしいです。『とんかつの誕生』岡田哲。講談社選書メチエからでした。
池田の酒「呉春」でトンカツを食べさせてくれるところがある。
行きたい!
滋賀県の草津に仕事で行ったとき、商店街外れの食堂で遅い(午後4時ごろ)昼ごはんを食ってた。
ステテコ姿の棟梁みたいなおっちゃんがガラガラっと入ってきて「カツ二枚と冷」の一声。
出てきた熱々のとんかつでコップ酒は旨そうやった。
「ソースをたっぷりとかけ、ていねいに衣と肉をはがす。肉を酒の肴にし、飲み終わったら、ソースのし
みた衣をほぐして飯と混ぜ合わせ食う。」と書いたのは池波正太郎。
何事も最後はオン・ザ・ライスで終わるのです。
以前読んだ『とんかつの誕生』岡田哲のメモが残ってました。カレーに続いて三大洋食のもう一つを。
ざっとした、誕生までの流れはこんな具合です。
本書では、昭和4にポンチ軒(上野)の島田信二朗が分厚い豚肉を揚げた"トンカツ"を持って、その誕生
としております。
【歴 史】
明治5年→「西洋料理通(仮名垣魯文)」で"ホールコットレッツ"の調理法紹介。
明治28年→煉瓦亭(銀座)が刻みキャベツをつけた"豚肉のカツレツ"を売りだす。
大正7年→河金(浅草)が"カツカレー"売りだす。
大正10年→早稲田の学生、中西敬二郎が"カツ丼"を作り出す。
昭和4年→ポンチ軒(上野)の島田信二朗分厚い豚肉を揚げた"トンカツ"を生む。
ということで、
明治5年(1872)、明治天皇の獣肉解禁から昭和4年(1929)にトンカツが誕生するまで60年という歳
月が流れているこっとになります。
明治初期の牛鍋がすき焼きにかわり、日本人の肉食への抵抗感が薄れて行く中で誕生した『トンカツ』の
ドラマ。
◎牛肉から鶏肉そして豚肉への変遷。
↓
◎薄い肉から分厚い肉への変遷。
↓
◎ヨーロッパ式のさらっとした細かいパン粉から、日本式の大粒のパン粉への変遷。
↓
◎炒め焼きからディープフライへの変遷。
↓
◎さらに西洋野菜である生キャベツの千切りをそえて
↓
◎あらかじめ包丁を入れて皿に盛り
↓
◎日本式の独特のウスターソースをかけて
↓
◎ナイフやフォークでなく箸を使って
↓
◎みそ汁(豚汁・シジミ汁)をすすりながら
↓
◎米で楽しむ和食として完成。
これだけの食の変遷に60年の歳月が費やされたのである。洋食という外来の食べ物を、執念で吸収・同
化していった文化はおそらく他国にはないと思える。
【肉食のタブーについての誤解】・・・これはどうなんだろう?
天武天皇は、仏教に熱心であり、仏教の教義をもとにした、殺生禁断、獣肉禁止の発 想から、ウシ・ウ
マ・イヌ・サル・ニワトリの肉食を禁じる勅令を発布する。
これらの禁令は1200年間も引き継がれ、日本の食べ物は獣肉から遠ざかり、タン パク源は魚介が中
心となる。
仏教には、本来は食べ物についてのタブーはない。流転輪廻の思想から、生き物を傷 つけること、殺す
ことを避けようとしてきた。人も動物も同じと見ているから、折衝 したときの報いをおそれている。同
じ生き物でも魚介類は別であり、これは仏教の殺 生戒の矛盾点と言われる。
同じ仏教でありながら、中国では、日本のような殺生禁止令はでていない。これは極 めて日本的な禁忌
として長く残ったものである。
日本・中国・朝鮮半島では全く異なった肉食文化を形成しているが、独自の折衷による「洋食」を作り
出したのは、日本だけである。
・・・ということらしいです。『とんかつの誕生』岡田哲。講談社選書メチエからでした。
池田の酒「呉春」でトンカツを食べさせてくれるところがある。
行きたい!