辻まことのこと

「"辻潤を理解する"といえるほど、私は辻潤を軽蔑することができないのだ」

と、辻まことは、辻潤著作集3「浮浪漫語」の解説に書いてます。


この一行は、いつも辻潤を分かったような気になったりする私に水をぶっかけます。


伊藤ルイの『必然の出会い』に、ルイに対する遺言のような、まことの言葉が書かれてます。


「ルイちゃん、才能はね、それを資本化しながら伸ばしていかなくっちゃね」

なんの才能もない私に向かっての最後の別れの言葉は、謎であった。

しかしいまは、六十八年を生きてきた、その日常を生きることも一つの才能であるならば、その日常を資

本にしてまた新しい日々を拓いて生きていく。

希望を孕む辻まことからの遺言としてグッと握りしめている。




【〔辻まことの世界〕に魅せられて】というサイトがあります。

素晴らしいです、ぜひ→http://www.ricecurry.jp/menu.htm



私の好きな、辻まことの文章です。


煙草を一本吸って、ベルトを強くしめた。こういう前途の困難は、けっして陰気なものではない。

人生のプロトタイプがこういうものなら、未知な未来に対して、被害妄想なしにこうして率直に向かって

いけるものなら、本当に万歳である。

私はこういう緊張にあうたびに、自信というものは、計画に対する確信から生まれてくるものではなく、

まったく別なものであることが解る。

それはもっと生々しいものだ。この瞬間に、自然の中で私は心に生物を取り戻す。

                             ―『山の声/引馬峠』より