にひる・にる・あどみらり
タイトルは辻潤の作品からのものです。例によって意味わからん。
この中で辻潤は、こんなこと書いてます。
「私は太陽の如く希望に輝いている。」と云う文句と、「私は痩犬の如く人生に疲れている。」と云う文
句を書くには同一の努力がいる。(にひる・にる・あどみらり)
唐突ですがシュティルナーは、抑圧を受けるのは抑圧者の罪ではなく、抑圧をはねかえすだけの力がない
ということ。己の非力、それが罪だと言います。
己の非力を棚に上げて、国家の罪だ、社会の責任だと異議申し立てをしても、抑圧の構造それ自体はびく
ともしないのです。
辻潤はシュティルナーの『唯一者とその所有』を翻訳し、深く楔を打たれた人です。
もう一回唐突に、大杉栄もシュティルナーに注目した人間です。
1912年(明治45/大正元年)に『マクス・スティルナー論』を書いております。
この1912年、辻潤は卒業式を済ませ故郷に帰ることになった伊藤野枝を上野の展覧会に連れて行き、その
帰りに野枝を抱擁するなんて、けっこう頑張ってます。
結局、野江との事が原因で辻は上野高女を辞職しますけど。
話がずれました、大杉栄のシュティルナーです。
「人道などというものはない。人は自己の外の何者にも、神にも人道にも、従うの要はない。個人の権利
以外になんらの権利もない。~私は唯一者だ。私の外には何者もない。」と大杉はシュティルナーを訳し
ております。
大杉栄のマックス・シュティルナー論はこちらで読めます。
→http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/osugi02.html
抑圧は、被抑圧者の非力の罪だとするシュティルナーの力の哲学から、一途に力で闘いを仕掛けた大杉栄
は肉体もろとも抹殺されました。
一方で辻潤は「低人教」だとか「降参党」なんて初めから白旗を揚げているような有様に見えます。
しかし、「つまり、僕はスチルネルを読んで初めて、自分の態度がきまったのだ。」とする辻の現実の生
はシュティルナー的回心によって職を失い、文壇的には人名碌で生きてるのに死亡と書かかれ、世間から
は差別どころか敵視されるという状態に追いやられます。
たしかに、それは非力だったからですが、非力でもなおかつ、辻が自分自身を生きようとしたからであり
ます。
「思想とか精神とかいうものは人間が孤独ではないことを証明する唯一のものであるべき筈だ。多くの
人々がそう教わってきたし、それを証明しうる材料もたくさんある。ボクは全くその反対の現象を眼の前
に見せられたように思う。美しい花は多くの眼に発見される。だが、誰にも解らない場所で、ひそかに咲
いて、ひそかに腐る花もある」と辻まことが書いた父、辻潤はそういう筋金入りの人であったのです。
冒頭の「私は太陽の如く希望に輝いている。」と云う文句と、「私は痩犬の如く人生に疲れている。」と
云う文句を書くには同一の努力がいる。
これも、決して戯言ではないのであります。