こっかどぅどるどぅー

老子

世のなかに禁令が多く布かれると、人民はいよいよ貧しくなり、人民に文明の利器が普及すると、国家は

いよいよ昏乱する。人民に技巧が発達すると、奇をてらった品物がどしどし作られ、法令が整備されれば

されるほど、盗賊が増える。・・・福永光司朝日新聞社/中国古典選より。


東洋の生んだ最も深遠なアナーキズム思想家。そんなふうに辻潤老子を評した。

ところで、西欧の辻潤マックス・シュティルナーにとって国家はこんな具合だ。

シュティルナーは哲学的アナキストという、わかったようでわからんような称号がある。


●いわゆる国家なるものは、従属と愛着との織物であり編細工である。それは一つの共属であり、共合で

 ある。

●国家は人間から何物かをつくろうとする。それゆえ、国家はただ作られた人間のみが棲息する。自分自

 身であろうと欲する者はことごとく、その敵であり、零(ゼロ)である。

●犯罪者なしには国家は存在しない。道徳的世界-そして国家はそれである-は無頼漢、詐欺師、嘘つ 

 き、泥棒などで一杯になっている。

●戦いはむしろ制度そのものに対して宣言されるべきである。すなはち、国家に対してであって、ある特

 定の国家や、たんに国家の一時的状態に対してではない。

●国家は個人の暴力を犯罪と呼び、自らの暴力を法と呼ぶ。



以上、『唯一者とその所有』より。


まあ、それが愛であれ、神の意志であれ、人民の総意であれ、それらはみんな人間が考え出した言葉=精

神にすぎないわけで、この考え出されたもので逆に考えたものを支配しようとする論理。それが国家だと

している。


老子とそっくりだ。


おまけで、シュティルナーは「全世界にひとりの罪人もいない!」としております。


僕らは皆完全である。全世界にひとりの罪人もない!自分を父の神、子の神、月の世界の人間と想像する

狂人もいれば、また自ら罪人だと思い込んでる愚人もうようよ群れている。しかし前者が月の世界の人間

でないように、後者も-罪人ではない。彼らの罪は想像されたものである。


これはキリスト教世界からの決別宣言ということになると思います。

キリスト教の根底に在るのは罪のまた罪、原罪。


まあ、どっちにしろ生まれてきただけの事に罪であろうとなんであろうと、そんな大そうな意味をつけら

れるのは勘弁してほしいものです。