車輪の下の青春

辻潤はけっこう裕福な家に生まれている。幼い頃は何人かの女中もいたくらいだ。

家業は蔵前の札差。両親はともに養子、養女である。

父、六次郎はそうでもなかったが、母の美津は芝居を好み、三味線の達者な人だったらしい。

後に尺八を覚えた辻潤は、母親と酔いにまかせて合奏しあったらしい。

しかし、辻潤にいちばん影響を与えたのは、祖父の四郎三。

「小渡りの古半纏に一本ドッコをきりっと前結びにして、〔おいらあ今夜は異人の御馳走だ〕とよく代地

にあった万里軒でかけた祖父インロオの顔が眼の前に浮かんでくる」と辻が『幻燈屋の文ちゃん』に書く

四郎三は、茶人で俳人で、九代目団十郎パトロンだったらしい。

私は、辻のこの文章が好きだ。『あさくさ・ふらぐまんたる』の中で浅草を「自分の郷土、スイートホー

ム」と書いたりしている、辻の気持ちがテンポよく伝わってくるのだ。


明治維新で古いものは崩れていく。

官吏をやっていた父親は、「無能で淘汰をされてからは、士族の商法のような骨董屋を始めたがそれも一

向商売にはならず、息子の教育は碌に出来ず、始終生活に脅かされ、揚句の果てには気が狂って死んでし

まった」。(「文学以外」)

辻潤の父は、実際には井戸に飛び込んで死んだという話もある。


ところで、辻まことは狂った父、潤を引き取りに行く経験をするが、じつは潤も同じ経験をしている。

狂って警察の保護された父を迎えにいった帰りのことを辻潤は書いている。

「その時、一日のイヤな勤めをすませて、疲れきった自分が、気の狂った父の車のウシロから歩いて行く

間に私は全体どんなことを考えていたのでしょうか?恐らくはほんとうに心の中で泣いていたにちがいあ

りません。」、「食うことに心身を疲労させている間に、僕はいつの間にか志とか目的とか云うものを見

失ってしまった。」(『文学以外』)。


没落は父の無能だけでなく、母美津の浪費も原因ではある。


辻潤の青春期を、玉川信明は「車輪の下の青春」と名づけた。

たしかに、そんな具合だ。

辻まことが狂った父、辻潤を迎えに行ったときの様子はこうだったらしい。
 →http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/6579268.html?p=1&pm=l&sk=1&sv=%C5%B7%B6%E9


そんな辻潤大杉栄は似ている。

辻潤は明治17年10月4日。大杉栄は明治18年1月17日生まれ。ほぼ同時期に生まれている。

大杉は陸軍幼年学校に入学するために新発田中学を二年で中退。

辻潤は家の没落で開成中学をやはり二年で中退。同級生に斉藤茂吉がいたりする。

大杉と辻二人とも、当時の青年と同じように→内村鑑三の影響を受けクリスチャン→そしてキリスト教

棄て→社会主義へと進んでいく。

二人がシュティルナーの『唯一者とその所有』に傾倒している点も共通している。

大杉は社会主義者としての活動していくが、辻潤はそうしなかった。

ここは辻の気質と思う。集団や徒党を組むことへの嫌悪があったように思う。

その後、そういう区分けをするなら辻はダダイストとなり、大杉はアナキストとなる。

一見違うようだが、ここでも二人はそっくりだ。

ダダイストアナーキストも、国家や主義に反旗を翻しているという点では同じなのである

だから二人とも危険思想の持ち主とされ、警察にマークされた。

大杉は逮捕されても傲然たる態度を崩さなかった。一犯一語なんて云って捕まる度に語学を習得した。

辻潤は「お前は、共産主義者だろう」と尋問されて、「いえ、降参主義です」と答える。

服従のための表現法は異なるけれども、二人は共通しているのだ。


辻潤の生い立ちから青春期を見ると、彼は最初からマイナスを抱え込んだ人のように思える。

生涯負け続けた人だが、それでも辻潤は徒党に組することなく、独りで生きた人だ。