美はただ乱調に在る。諧調は偽りなり。

美はただ乱調に在る。諧調は偽りなり。

大杉栄の言葉。

ええなあといつも思う。


ところで、これを書名としたのが瀬戸内寂聴。まだ晴美といってた頃だ。

『美は乱調にあり』が1966年で『諧調は偽りなり』が1984年の刊行。


『美は乱調にあり』は、有名な葉山の日蔭茶屋事件が中心。

これは大杉栄を真ん中に、その妻である堀保子、神近市子そして押しかけてきた伊藤野枝

この四画関係が原因で、葉山の日陰茶屋で神近が大杉を刺し重症を負わせるという事件のこと。

上のような人物や平塚らいてう辻潤なんて名前が出てこなかったら、エロ小説かと思うほどだ。

まあ、恋愛は肉体の関係まで行くのが普通だから、それも当たり前だけど。

恋愛小説、純愛小説、官能小説、エロ小説という分類は、純文学と大衆小説の区別と一緒で嫌いだ。

上野女学校で出会った辻潤伊藤野枝の描写もけっこう濃厚だ。

辻潤自身が「染井の森で僕は野枝さんと生まれて初めての熱烈な恋愛生活をやったのだ。遣憾なきまでに

徹底させた。昼夜の別なく情炎の中に浸った。初めて自分は生きた。あの時僕が情死していたら、如何に

幸福であり得たことか! それを考えると、僕はただ野枝さんに感謝するのみだ。そんなことを永久に続

けようなどという考えがそもそものまちがいなのだ」と『ふもれすく』の中で書いてるくらいだからそれ

はそうなんだろうと思う。


続編らしき『諧調は偽りなり』は、ずっと後の1984年の出版。

相当な時間が空いている。瀬戸内はこう書いている。

「完全には像がさだまっていなかった大杉虐殺をえがくより、1916年の日蔭茶屋事件まででいったん断筆

することをえらんだ」。


そして、この続編までの歳月に大杉栄伊藤野枝、橘宗一虐殺の鑑定書(1976年)の発見があった。


『諧調は偽りなり』は、その発見を受けて書かれたということだ。この本の中心は甘粕事件。

関東大震災のあとの混乱に乗じて、憲兵大尉甘粕とその部下数人が大杉栄伊藤野枝、そしてわずか6歳

の橘宗一までもを虐殺した事件の背景を書く。


実はこっちの方が面白い。

事実を大杉栄辻潤と異なる人物の目で重層的に再現しなおそうとしている。

瀬戸内自身も各人の像が固まったのだろう。『美は乱調にあり』に比べても相当に個々人が深く描かれて

いるように思う。

特に辻潤だ。前作では世の習いの通り、大杉に嫁を取られた男的に書かれていたように思うが『諧調』で

は、俄然光を放って描かれている。


ここまでは、以前読んだメモを元にしたものだ。

先日、この本の話をコメントで書いた。どうも前に読んだ時は、ずいぶんと資料的な読み方をしたように

思った。

瀬戸内が「辻潤」をどう理解していたか?をもう一回確認したいと思っている。

読み直しだ。