森巣博&正村竹一

およそギャンブル、賭け事のようなものには関心がない。

やったことがないわけではないけど、やってる途中で「なんで、こんなことしてんのやろ?」という気持

ちが生まれてきて、面倒くさくなってしまうのだ。

だからといって、人生そのものが賭けだとも思ってない。


森巣博の本は何冊か読んだことがある。

たぶん『越境者たち』がずいぶんと話題になったからだと思う。

『越境者たち』に森巣博の経歴が書いてある。

こんなんだ。

1948年日本生。雑誌編集者・記者を経て、75年のロンドンよりカシノ賭博の「常打ち」賭人を目指す。現

在、オーストラリアを拠点とし、世界中の賭場を攻める国際賭博打ち。94年、全豪牌九(バイガオ)選手権

者。著書に「無境界の人」「無境界家族」「神はダイスを遊ばない」「ろくでなしのバラッド」「ジゴ

ラク」など。「無帰属」の志を縦軸に、ギャンブル体験を横軸にして綴る、簡潔で明快な文章には定評

がある。「非国民栄誉賞」を生涯目標とする「不純文学」の鬼才。


「無帰属」とか「非国民」とか、私の好きそうな言葉の連続だ。

ただ、この人は自身の体験や目線は面白いけど、正直言って小説はもうひとつだ。むしろ、青木雄二のよ

うな形で書いた方がいいような気もする。最近は、読んでない。

それと青木雄二も金持ち=資本家という誤解がある。金持は昔からいる、資本家はいなかった。


どの本だったか忘れたけど、森巣を読んでて、ほぉ~っと思ったことが二つある。

一つは、キース・ジャレット。例の『ケルン・コンサート』がオーストラリアの若い人の間でも評判をと

ってたと書いてた話。

私は、キースは日本で受けてるだけかと思っていたのだ。『ケルン・コンサート』は好きではない。

キース・ジャレットでは、チャールス・ロイドの『フォレスト・フラワー』のキースが、私としてはいち

ばん記憶にある。

この話はそんだけ。


もう一つは、石原都知事の「東京都にカジノを」というプランを笑い飛ばした話。

手元に本もメモもないので、記憶に頼りながら内容を書いてみる。

日本にも公営のギャンブルはある。

競馬、競輪、競艇オートレース、公営くじ、サッカーくじなんかがそうだ。

博打だから、それぞれに胴元がいる。

代表的なのは競馬の農林水産省だ。競輪は国土交通省競艇経済産業省だったと思う。

ここで、胴元は主催者だから、当然手数料を取る。

競馬や競艇などの公営競技は25%、宝くじやTOTOは50%以上だ。

森巣によれば、この寺銭=手数料は他国に比べて異常に高いらしい。この事を指摘するとともに、石原都

知事の構想を笑い飛ばす。

こういう事だ。日本の公営ギャンブルの胴元は「休まず、さぼらず、働かず」(いつでも例外はあるけ

ど)の日本の役人の頂点に立つ官僚たちだ。頭もいいし、能力もある。特に、既得権益を守ることに対す

る能力はずば抜けている。

新しい賭場が生まれることを「どうぞ、どうぞ」といって道を開けてくれるわけがない。

森巣は、石原都知事が本気でそういうことを考えたのではなく、ある種の無知からきているとして笑い飛

ばすのだ。


ところで、パチンコと警察との関係は曲折がある。

一時期、パチンコは賭博性が強いということ警察庁から締め上げられて閉店する店が多く生まれた事もあ

る。このことは今の蜜月のために警察官僚が描いた筋書きだったかどうかは知らない。

『天の釘―現代パチンコをつくった男 正村竹一』鈴木笑子。

正村竹一は「正村ゲージ」を開発し、普及させた。その人の生涯を追っかけた本がこれだ。

これは、パチンコから見た戦後史ということになる。

なぜ名古屋がパチンコの本場なのか?なぜ「在日」がこの業界の経営者に多いのか?この本でおおよその

所は見えてくる。


どっちにしても、世の中の下の方の人間は、毟り取られるまで毟り取られるというシステムはいつの時代

も機能しているなあ。

そんなんです。