大杉栄のこと

「必然」という言葉に恨みはない。けど嫌いな言葉だ。

「必然」という言葉を使う奴にロクなのがいなかっただけのことだけど。

人間のやることなんて、せいぜい「結果的にこうなった」程度のもんと思う。


「必然」を使いたがるのは主に組織の人だ。政治、宗教・・・全部ひとまとめで組織の人だ。

こうした人たちは使命感の塊だ。

ばら色の未来を目の前で見せながら、高所から何かとありがたいお話を垂れ流してくれる。

逆らったり、反論したりしようものなら大変なことになる。

意識が低いだの、洗脳されてるだのと言われて、最後的には憐れな人扱いされたりもする。


例えばロシア革命だ。

ボルシェビキが、他派を弾圧して多数派となり政権を奪取しても多くのマルクス主義者は黙していた。

彼らは、とにもかくにも革命政権を作ることを優先させた。そして労働者が解放され、自由な人間とし

て行動するようになるのは、革命が成功してからだと考えたのだ。

大儀の前の小儀とかいうやつだ。

これはロシア革命や左翼運動に限ったことではない。

いまでも、どこかで見られるありふれた光景だ。国家、会社、団体・・・。


大杉栄は面白い。

精密に描かれた未来像とそれを裏打ちする「必然史観」に対して「蓋然史観」をぶつける。

社会は、段階を踏んで機械のように進化発展はしない。むしろ、突然変異する生命体のように、予測で

きない時と場所で不意に変化する。革命が何時いかなる時点で成就するか、誰も予測不可能だ。

そんなふうに言う。当然、ロシア革命にもいちゃもんをつけた。

大杉は理性より本能や感情の方を高く評価していた。血肉の自分ってやつだ。

大杉栄シュティルナーをこう理解していた。


   「唯一者」の中心思想は、まず次の数句の中に尽くされる。
   
   人道などというものはない。

   人は自己の外の何者にも、神にも人道にも、従うの要はない。

   個人の権利以外になんらの権利もない。


こんなことも書いている。

主人に対する奴隷の恐怖。奴隷は、馴れるにしたがってだんだんこの状態がが苦痛でなくなって、かえ

ってそこにある愉快を見いだすようになり、ついに宗教的崇拝ともいうべき尊敬の念に変わってしまう。

奴隷なりのモラルを生み、ついには「臣下は酋長のために死ぬことを至上の義務」と心得るようになる。

『奴隷根性論』要約。

これは主人が権力者でもマルクスでも神でも仏でも国家でもおなじことだ。


自分の主人は自分に決まっている。


辻潤はニヒリスト。

大杉栄アナキストといわれたりする。

ニヒリストは、えんせいひかんのポーズを気取っていじけるのが趣味の嫌味な奴ではない。

アナキストは、別に爆弾を投げるのが趣味な暴力男ではない。

それは、どのような状態でも、自分だけを信じて生きていく姿勢であり、自分以外の何物にも属さない

という構えのようなものだ。

決して、愛国心や信仰心や革命理論に自分を預けたりはしない。


-『僕は精神が好きだ』大杉栄(1918年 2月)-

僕は精神が好きだ。

しかしその精神が理論化されるとたいがいはいやになる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実

との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。

精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。

この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義人道主義が好きだ。少なくともかわいい。しかし

法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。

社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる。

僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。

思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。


大杉栄『奴隷根性論』→http://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1006_13470.html
大杉栄シュティルナー論→http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/osugi02.html
青空文庫http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person169.html#sakuhin_list_1
アナキズム図書室→http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/library.html