John Coltrane

イメージ 1


「じょ~~~ん・こるとれぇ~~ぇ~~~ん」と白石かず子が自らの詩を朗読したとき気が変わった。

もう、コルトレーンええなぁと人に言うのを止めることにした。

案の定、コルトレーンはジャズとは関係ない所で聴かれたり、語られたりするようになっていた。

もちろん、白石かず子になんの責任もない。白石かず子の朗読はけっこう気に入っているほうだ。

吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で文学を政治と切り離すというややこしい作業をやり、やたら

とその事を支持する連中も、結果的には似たような事だった。吉本が成功したかどうかはわからん。

まあ、そんな時代だ。若いって事と同じで時代の勢いだけってのがぎょうさんいた。


ジャズに戻る。例えばマル・ウォルドロンというジャズ・ピアニストがいる。

ビリー・ホリディゆかりのピアニスト、『LEFT ALONE』は有名だから聴いたことがあると思う。嫌いでは

ない。

その頃、マル・ウォルドロンを称して<情念>という言葉が使われていた。こんな具合だ。

「彼の黒い情念は我々の小市民的平穏を突き破り、いつしかその象牙の鍵盤によって」・・・意味がわか

らんのだ。

どこもかしこもそんな文章があふれていた。だから、植草甚一が好きだったのだけど。

ジャズ喫茶もそんな連中であふれていた。

もう世界は終わりだ!そんな顔付きのやつがやたらと多かった。

そんな彼らがもっとも嫌うビック・バンドなんかをリクエストする。期待した通り、ものすご~く見下し

た視線がこっちに集まってくる。

ドアホ!世界が終わるかぁ、おのれが終わっとるんじゃ!と腹の中で笑いながら、それを肴に安モンのウ

ィスキーを飲んで、ときどきは、そんな奴らと格闘技をやったりもした。

つまり、コルトレーンワルシャワ労働歌も、この人たちには同じもので、ただ衣装の一つにすぎなかっ

たのだ。

だから、せっかく生き字引の様なマスターがコルトレーンをもっと聞いてもらおうと「バラード」をかけ

ても反応することもない。「アセンション」や「クルセ・ママ」をややこしい顔付きで聴くために来てる

様な人たちだ。

ジャズが好きでもない人たちが、「じょ~~~ん・こるとれぇ~~~ぇ~~~~ん」とやりだしたのだ。

だから、人前でコルトレーンと言わないことにしたのだ。


私は中学校の時に何度か先生にどつかれている。

その一つは、明らかに全員賛成の議題で多数決をとった時に一人反対の挙手をした時だ。

先生から理由を訊かれて「全員一致は信頼性がないでしょ」みたいな事を行った時だ。間髪入れずに平手

が来た。半分冗談でやったのだけど、とにかく右向け右が嫌いなのは性分だ。

たとえ、そこに本当はなかったとしても少数につく。それは性分やからしようがない。

ついでに先生にどつかれた残り二つはこんなのだ。

まず先生から「ウンとかスンとか言わんか」といわれたので「ウン・スン」と言った時。

残る一つはかなり長くなるから省略する。


で、本当はコルトレーンが好きなのだ。最初の頃から最後まで。

いちばん好きなのが、写真のアルバム。

『セルフレスネス・フィーチャリング・マイ・フェイヴァリット・シングス』。

なんかカタカナで書くとものすごいなぁ。

ここでの、コルトレーンのソプラノ・サックスは・・・凄いとしか書けん。

「My Favorite Things」は、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中でジュリー・アンドリ

ュースが子供たちに歌って聴かせる曲がオリジナルです。

残念ながら試聴は探せなかった。

代わりに、Coltrane.comってのがあった→http://www.johncoltrane.com/

マイルスと一緒のときの演奏と『至上の愛』の演奏ビデオがちょっと観れる。

『至上の愛』の最後のパートも大好きだ。

コルトレーンはあんまりにも好きすぎて、演奏そのものより私的な記憶しか書けん。

チャーリー・パーカーがbirdの愛称で、コルトレーンがtrain。

たしかに、その愛称がぴったりする二人ではある。


まあ、そんなんです。