きゃぷりたす・ぷらんたん

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 おすみさんは婆さんで年は七十何歳になるがまだ白髪は一本もなく、身体が水々と肥えている……

 遅くまで針仕事をやって、まるで子供のように瑣末なことを面白がり、人生はどこに退屈の風が吹

 いているか?か?―というような顔をして毎日を暮らしている……

 健康で、無邪気で自然にその日その日を楽しく送ってゆかれたら、その他になんの問題もなくなる

 じゃあるまいか、犬や猫や動物やなにかには別段目的も何もなく、ただ生きてゆけばそれでいいよ

 うに思われる、人間だってやはり結局は生きればいいのだ、ただそれだけの話なのだ。

 犬やねこや松の木とちがうところは欲望が複雑だということだけだ、しかし複雑だということは別

 段たいして自慢にもならない、特別にそんなことをエラそうに考えるだけがおかしな話なのだ……

 人間の命は左程ながいものではない。

 だから愛する人々よ、-御相互にツマラヌ意識はヌキにして、愉快に呑気に金などが少々なくとも

 ジプシーの如く快活に、-食えなくなったら、クヨクヨせず、遠慮せず、もってる人からもらうこ

 とにしよう-

 人間の、生物の不幸は汲めども尽きはしない、いくら考えてみたところで始まらぬ、-私は絶望の

 奈落から、かくの如きダダの自覚を獲得したのであります、またいずれ……
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『きゃぷりす・ぷらんたん』(大正13年(1924)4月29日)より。辻潤40歳で、四国から九州、信州と浮

浪中であります。


ニヒリストでダダイスト辻潤と健康なプロの生活者のようなおすみ婆さん。

矛盾しているようで、実はそうではない。

辻潤の理想とする世界はそんなところにある。

いつでも目の前にあり、目の前にありながら、世界中が「おすみ婆さん」になるならの想いは、しかし夢

でしかない。

そんなところにある。


健康で、無邪気で自然にその日その日を楽しく送ってゆかれたら、その他になんの問題もなくなるじゃあ

るまいか、-犬や猫や動物やなにかには別段目的も何もなく、ただ生きてゆけばそれでいいように思われ

る、人間だってやはり結局は生きればいいのだ、ただそれだけの話なのだ


強い言葉だ。これは辻潤の意志の言葉、狂に対して狂で抗した辻潤だ。


ところで、「きゃぷりす・ぷらんたん」って?意味がわからん???


辻潤の年譜→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/17842909.html

青空文庫収録の作品→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person159.html#sakuhin_list_1