や す し

安モンの「太閤記」のように人の一生を描くと、物語はてっぺんに上るまでの明るさ、軽快さに対して

上り詰めた後の物語は、鬱陶しく停滞する。

てっぺんを境に明と暗のように描かれ、残されたイメージは暗の方をより引きずることが多い。




1982年、久米宏テレビスクランブル日本テレビ)に単独出演。

失言や脱線があるも好評だった。

そして、1983年12月。初の主演映画「唐獅子株式会社」(東映)が、正月作品として公開される。

関西にいると見落としてしまうけど、1984年に「テレビスクランブル」をすっぽかして降板し、86

年に相方が選挙に出て参議院議員になるまで、全国ネットでは、やっさんの方が抜けていたのだ。


まだ土曜日に半ドンという言葉があった時代、TVでは「モーレツ!!しごき教室」があった。

横山やすし・西川きよしが進行するバラエティで、当時の吉本若手芸人がトランポリンなどに挑戦、失敗

するとやっさんのハリセンが炸裂って番組だった。

若手芸人には、オール阪神・巨人間寛平木村進池乃めだかが、漫才師の海原めだかとして相方(引

退)と出ていた記憶がある。

「しょう~みの話」、「おこるでぇ~」…。

暗いものを秘めながらも(誰でもあるわい)、明るいやっさんがいた。


やがて、本人も息子の一八も騒動を起こす。

相変わらず、TVは似たもの親子的にやっさんの騒動を蒸し返している。

その騒動、事件、事故の数々はWikipediaに詳しい。


芸人としての横山やすしを保存したいなら、その必要は絶対にあると思うてる。

堕ちて行く、鬱陶しいまでの晩年のやっさんを繰り返し流すのはやめて欲しいと思うのだ。

それは、やっさんの芸=笑いと無縁のものだから。

それに、相方の目玉男のやっさんの芸の遺産管理人的位置が強くなるのを見たくもないのだ。

中学の頃から勉強嫌いで漫才一筋だったやすしにとって漫才は天職であり、聖なる仕事でもあった。

しかし、そんな人間はめったにいないのが、やすしには理解できない。

                           「天才伝説 横山やすし小林信彦より

以前、読んだ時には見落としていた。

そんな人間はめったにいないのが、やすしには理解できない。

そうか、そうゆう事や。いま気がついた。


ところでM-1の決勝戦吉本興業ばっかりや。ガンバレ松竹!


「きよし」の夜だらけですので、「やすし」の話でした。m(__)m