添田知道

 「理解」とは何だろう。「わかる」とは何だろう。どうもそれは、理解したつもり、わかったつも

 りであるのがせいぜいのところなのかと思わせられる昨今である。

 人間個々のおくそこに、何が棲み、うごいているのか。それは誰にも、自分自身にさえも、「つか

 めない」のではないか。

 それをつか出し、しかと握ってみたいと、あせり、苦しみ、なやみ、もがく。そしてついに「わか

 らないまま」に、みんな死んでゆくのでほないか。誰の、どっちの側からもそうなのではないか。

 あさはか、の一語に尽きるのではないか。

 いまとくに、そんな心的状態にある。

 辻潤について書けといわれた。そのとき、うっかり、はいと返事はしたものの、すぐにも書けない

 と思ったものの、はて、こいつは厄介だ。印象や、ふれた事柄を書き綴ることはいとやすい。

 が、印象で対象の実体がわかったつもりでいたりすることがわれとあさはかにおちいることではな

 いかという、ためらいが、筆をしぶらせる。
 
 客観というのが、そもいいかげんなやつではないのか。辻を語り、論じることはいくらでもできる

 だろう。おもしろいにはちがいない。こんなおもしろい対象は、めったにないのだから。
 
 めったにない、という稀少価値がうっかりすると教祖的たてまつりになりかねない。信者という巷

 間通語があるが、それになるのは気がらくだからね。おさいせんで事がすむのでもあるからね。

 さて、ニヒルといい、ダダといった。当時それがイズムの新銘柄であったことはいえるが、そうし

 た思考想念そのものは、人間群の生きてきた長い歴史の底に、ずっと流れてきていたものだろう。

 精神的にめくらでいたものが何かのはずみで触発される。その触発者として辻潤は、大いに評価さ

 れていいのだし、それだから珍重されるのでもあろう。

 きらめくような近代精神のもち主だった。自我の拡充。それをうたいつづけた辻潤は、しかし説教

 者ではなかったといえよう。言語文字による表現にその意は強列鮮細でも、諷詠的であったといえ

 るのではないか。

 それは教祖にならない。なれない人間的資質原質があったからではないだろうか。

 蔵前札差の子に生まれたという辻潤は、俗にいう江戸っ子の流れである。江戸っ子という呼称は使

 われた方にいや味もあるが、臭味にさへなるものがあるが、時間空間の状況が醸成した気風といっ

 たものは当然にあろう。長い時間はそれを性格化もする。体質化さえも遂げるだろう。おそらく辻

 潤は、そういうものに泥む気は毛頭なかったことは充分考えられるのだが、よく宿命という字句が

 かるく使われるが、意識の下に、肉体化した江戸下町風が流れひそんでいたのではないか。その、

 古三味線的体質と、きらめく近代精神の抱合体が、あの稀有なる存在を、この世に現出したという

 ことではないだろうか。
                             ―『感想以前のこと』添田知道

辻潤について書かれたものの中で好きな文章が三つある、辻まこと、高木護とこの添田知道だ。

添田知道は「あきらめ節」なんてのがある演歌師の添田唖蝉坊の息子であり、知道自身も演歌師だった

こともある。

香具師の生活』、『演歌師の生活』、『日本春歌考』、『小説教育者』といった作品がある。

『日本春歌考』は大島渚が映画化し、『小説教育者』は新潮賞を受賞している。


「肉体と頭が混然一体とならなければいけない」を口癖としていた添田知道は、四足で地上に立ってい

るような人だ。

雄山閣から出た『香具師の生活』を読んだ時の衝撃は今でも忘れない。

香具師の生活とは、墜ちてきた者にとってはある種のアジールであるという見方がある事を知った。

ハングリーであるというより、野垂れ死にと背中合わせで生きてきた人たちである。

香具師の三大憲法がある。

   一.バヒハルナ 売上金をごまかすな

   一.タレコムナ 公儀へ訴え出るな

   一.バシタトルナ 仲間の妻女を犯すな

二番目の<公儀へ訴え出るな>に香具師自治と自由への誇りを感じる。

この世のもう一つの権力とは無縁であり続けようとする構えのように思ったりもする。