引用だらけで<織田作之助と「食」>で気付いたこと

青空文庫」で織田作之助を読んだりしているけど、「食」のイメージに変化がある。


これは、『夫婦善哉』と同時期のエッセイとあったから1940年(昭和14年)の作品。
戎橋そごう横の「しる市」もまた大阪の故郷だ。「しる市」は白味噌のねっとりした汁を食べさす小さな店であるが、汁のほかに飯も酒も出さず、ただ汁一点張りに商っているややこしい食物屋である。
けれどもこの汁は、どじょう、鯨皮、さわら、あかえ、いか、蛸その他のかやくを注文に応じて中へいれてくれ、そうした魚のみのほかにきまって牛蒡の笹がきがはいっていて、何ともいえず美味いのである。・・・狭い店の中には腰掛から半分尻をはみ出させた人や、立ち待ちしている人などをいれて、ざっと二十五人ほどの客がいるが、驚いたことには開襟シャツなどを着込んだインテリ会社員風の人が多いのである。
・・・喫茶店や料理店(レストラン)の軽薄なハイカラさとちがうこのようなしみじみとした、落着いた、ややこしい情緒をみると、私は現代の目まぐるしい猥雑さに魂の拠り所を失ったこれ等の若いインテリ達が、たとえ一時的にしろ、ここを魂の安息所として何もかも忘れて、舌の焼けそうな、熱い白味噌の汁に啜りついているのではないかと思った。
更に考えるならば、そのような下手(げて)ものに魂の安息所を求めなければならぬところに現代のインテリの悲しさがあり且つ大阪のそこはかとなき愉しさがあるといえばいえるであろう。(『大阪発見』)

「大阪のそこはかとなき愉しさ」。こんな大阪を書けるのは、織田作之助だけかも知らん。



これは、1946年(昭和21年)の作品。戦後の作品ということでいいのか?

いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。
 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。
 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。
 私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。
「まるで大阪みたいな奴だ」
 所が、きけばその青年は一種の飢餓恐怖症に罹っていて、食べても食べても絶えず空腹感に襲われるので、無我夢中で食べているという事である。逞しいのは食慾ではなく、飢餓感だったのだ。
 私は簡単にすかされてしまったが、大阪の逞しい復興の力と見えたのも、実はこの青年の飢餓恐怖症と似たようなものではないかと、ふと思った。
 千日前や心斎橋や道頓堀や新世界や法善寺横丁や鴈治郎横丁が復興しても、いや、復興すればするほど、大阪のあわれな痩せ方が目立って仕様がないのである。
 闇市場で煙草や主食を売っているというのも、いや売らねばならぬというのも、思えば大阪の逞しさというより、むしろ、大阪のあわれな悪あがきではなかろうか。(『大阪の憂鬱』)

「思えば大阪の逞しさというより、むしろ、大阪のあわれな悪あがきではなかろうか。」とまで書く。

誰が読んでも違いは明らかだ。


同じ1946年に発表した小説に『世相』がある。

戦後すぐの大阪の街を活き活きと描いた作品という事で代表作の一つとされている。

?・・・それは違う気がする。

織田作之助といえば「大阪」とされる。

しかし、織田作の書く「大阪」なんてもうどこにもないんやないか?前にそんなことを書いた。

もっと正確には、織田作自身がそう思っていたのではということだ。

今は、その思いがどんどん強くなってきている。

川村湊に『大阪という植民地』という評論がある。

ここで、川村は織田作の描く架空の街「大阪」は、織田作自身の最後の砦ではなかったかと考える。

 ●参考『オキュパイド・ジャパン』→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/25540581.html

『世相』読み返してみた。

この作品は、戦後の大阪の風景を書きながらも、かってあったであろう「大阪」を思い出しているよう

な、そんな作品と思った。

織田作の「大阪」は、作品を時系列で読み直すと、何かが見えてくるような気がしている。


最後に『世相』から私の好きなところ→http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/737.html
世相の哀しさを忘れて昔の夢を追うよりも、まず書くべきは世相ではあるまいか。
しかも世相は私のこれまでの作品の感覚に通じるものがあり、いわば私好みの風景に満ちている。横堀の話はそれを耳かきですくって集めたようなものである。けちくさい話だが、世相そのものがけちくさく、それがまた私の好みでもあろう。
 ペンを取ると、何の渋滞もなく瞬く間に五枚進み、他愛もなく調子に乗っていたが、それがふと悲しかった。調子に乗っているのは、自家薬籠中の人物を処女作以来の書き馴れたスタイルで書いているからであろう。自身放浪的な境遇に育って来た私は、処女作の昔より放浪のただ一色であらゆる作品を塗りつぶして来たが、思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間の相(すがた)と見て、その相(すがた)をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。
流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間であり、体系や思想を持たぬ自分の感受性を、唯一所に沈潜することによって傷つくことから守ろうとする走馬燈のような時の場所のめまぐるしい変化だけが、阿呆の一つ覚えの覘(ねら)いであった。だから世相を書くといいながら、私はただ世相をだしにして横堀の放浪を書こうとしていたに過ぎない。
横堀はただ私の感受性を借りたくぐつとなって世相の舞台を放浪するのだ、なんだ昔の自分の小説と少しも違わないじゃないかと、私は情なくなった。
「いや、今日の世相が俺の昔の小説の真似をしているのだ」

長くなってゴメンです。m(__)m