嬢さんとタニシ

 
農文協の『聞き書 大阪の食事』というのを借りてきて、ちょこちょこ見てます。

これ「日本の食生活全集」というシリーズで各県が網羅されてるようです。1991年の発行です。

大正末期から昭和の始めの頃の、大阪の食の様子を取材してまとまたものです。

本当は「節分」に太巻きという習慣が、この頃からあったかどうかを知りたかったのです。

けど、<船場薬種問屋の嬢(とう)さんの四季と暮らしと食べ物>なんて項目があると、そちらを優先し

てしまうのはなんでかわかりません。


そんなんで、女学校に通う船場の薬種問屋の嬢さんの食事はこんなんだったようです。

朝ごはんは、ほぼ年中ぶぶ漬(お茶漬け)と漬物みたいです。

女学校のお弁当は、ごはん・おかず一品(卵焼き、鮭の切り身)、お香々といった具合です。

女学校では、教室の石炭ストーブの上に蒸し器が置かれ、お昼前になると、おかず入れだけはずして、弁

当箱のご飯を温めて食べたとあります。これ、私も経験あります。

病気のときは、おかいさん(おかゆ)かくず湯だったそうですが、「二重八百源のかつおでんぶ」をおか

いさんにふりかけて食べるのが楽しみだったと書いてます。

そうそう、私は卵焼きには砂糖が入ったものがええです。

「二重八百源のかつおでんぶ」は健在です。これトーストに海苔と一緒にはさんで食うと美味いです。


おもしろいのは、薬種問屋のくせに、子供が病気しても店の薬はめったに飲ませてくれなかったそうで

す。病気になるとすぐに医者に連れて行かれ、もっぱら医者の薬を飲んだとありました。

家業が家業だけに薬の恐さを知ってたのかと思うたりしました。


話は船場の嬢さんから、天満の雑貨商の食事に急に変わります。

この本の中に「おひなさんの好物は、わけぎとタニシのお酢和え」というのがありました。


ようやくタニシの登場です。そして一気に結論です。

むかし、安モンの飲み屋には必ずといっていいほどタニシがありました。

ちょうど枝豆のように安くてけっこう量もありましたので、金もないのに酒を飲むような私にはピッタリ

の肴でした。

いま、まったく見かけません。

タニシの身に何かあったんだろうかと、少しネットでみたのですがわからんかったです。

美味いとは思わなかったけど、酒を飲むにちょうどいい肴ではあります。


そんなんです。

農文協写真データベースより
 タニシ料理→http://mmsc.ruralnet.or.jp/photodb/ryou/r0158001.html