ワン・フィンガー

 
行間を読むってどないなことやねん?と聞かれるとむずかしかったりする。

ちょうど野球選手の「肩が出来てる」とか「球が走ってる」というのと似てるかも知らん。

というか、私が行間を読めてるかどうかも怪しかったりする。


ただ最近テレビに出てるセージ家の話で「行間」を感じないのはわかる。

某野党の女性党首の話なんか、噛んで含んだ言い方を心がけてるようやけど、咀嚼どころか粗嚼にもいた

ってなくて、セージ家のくせに言葉がいっこも相手を噛んでない。

野党第一党の元党首で、失脚後お遍路なんかやってた人もひどかった。

選挙のときに「我が党は、こういう素晴らしい政策を持ってます!」みたいな事を絶叫しとった。

今どき、安モンのセールスマンでも「いい商品だから買ってください!」では売り上げは伸びへん。

まあ、そんなんで「これ、言わないでおいたぞ」のような凄みは今のセージ家にはないなあ。


話がずれてます。

いつも読ませてもうてるiyhs0114さん(ブログ名/遠い蒼空)が、こんなこふうに書いてはった。

・・・吉行淳之介を私が薦めるのは、だらだらした文章を嫌い、締まった文章によって書かれた小説であ

るからでもある。多分、それは今の多くの小説読者には分からなくなっているように思う。行間を読むこ

とは最早やできなくなっているのではないか?「ニホンゴキトク」状態である。・・・
                 
                    (http://blogs.yahoo.co.jp/jyhs0114/27654030.html


この頃は、読んで気になったところをコピーやスキャンして残しておく事も多いように思う。それから

ネット検索で得たものをコピペして残す場合もある。

それをアカンとするのでもないけど。

私は、肉体派で「行間を読む」が弱い人間やから、昔から書き写すをやってたりする。

今は打鍵というかキーで打ち込むというやつです。

たとえば、あまりにも有名ですけど山頭火のこれがあります。

   どうしようもないわたしが歩いてゐる

これを筆写か打鍵してみると、たしかに・・・

   どうしようもない
         わたしが歩いてゐる

なのか?それとも

   どうしようもないわたしが
             歩いてゐる

どっち、なんやろか?という思いが生まれてきます。

それから、自分やったらどっちやろ?というのも生まれます。

そっから山頭火の中に入っていくのもあるし、勝手に自分なりに膨らませるのもありやと思います。


行間を読むという話にはなってないかも知らんですが、まあ、そんな具合にオッサンはやってますという

話でありました。

おかげさんで、キーを打つのがワン・フィンガーからかなり進化したのだけはホンマです。(^^)


そんだけ。