萩原朔太郎の手紙

 
萩原朔太郎辻潤にあてた手紙の一部です。

僕はもっともロマンチックな人間であるけれども、同時にまたニヒリスチックな人間です。

虚無は厭うところなれ共、虚無的にならざるを得ないからです。

センチメンタルは醜劣である。(酒が醜劣であるとおなじく)だが酒か感傷にでも酔わないで、人生の倦

怠に耐えられるか。大兄や小生等は、常に酔うことの正義を認めている「認識者」です。だが、我々は認

識者であり、単なる認識者にすぎないのだ。それ故に幸福なる世の粋人共―アナキストマルキスト―か

ら、いつも疎遠した地位に居り、彼らから離れて居て、別の寂しいことを考えている・・・
                                        (1930.2.23)


国家、祖国、政府なんてもんが、自分の生きてゆく助けになるとは全然思わん。

そんな具合やから、なおさらに宗教や思想なんてものが、生活のど真ん中に位置するわけがない。


たとえば、革命なんてものもどうでもいいのだ。

A権力がZ権力に変わったとしても、いずれの権力下でも底辺労働者でしかないものに変わりはない。

マルクスだってルンペン・プロレタリアート反革命的であると切り捨てたりする。


まあ、それはそれとしてだ。


思想や宗教全般が私には関係ないもんであって、私は私なりに、その場その場をなるべく気分にそって生

きるということに従ってたらいいのだと思う。


とりあえずは、こんな風なことを思ったりしている。



そんだけ。