誑 し

   
昨日に続いて、藤山寛美の事です。

藤山寛美が気になりだして、合間合間に寛美について書いた本を読んでみようと思ったのは去年の秋。

芝居のほうはアホ友達が、DVD持ってたりするから助かる。

で、去年の秋に何があったかと言うと、テレビで寛美の出てる映画を観たのだ。

『 明治侠客伝 三代目襲名 』、監督が加藤泰で1965年の作品。

この映画の事は前に記事にしたです→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/21358769.html


寛美は、お調子者の客人といった役柄で最後には殺されてしまう役だ。

とはいっても、喜劇役者がちょっとした色物的に出てお茶を濁すような雰囲気はない。

監督の意図がどうだったかは知らないが、ここで寛美はいつ死んだとしても「あっ、そうですか」のよう

な雰囲気が目一杯漂っていたりしたのだ。

どんなシーンでも、重たい台詞回しなんか絶対にしなくて、全て日常会話のように普通すぎるのだ。

だから、逆に怖かったりもする。

そんなわけで、この映画は寛美が出た映画の中でも上位に入る。他は観てないから多分やけど。


映画は1965年だから、借金問題で松竹を出てまもない時の出演と思う。

借金と言うと、借金取りがドスを忍ばせて、金持って帰らんと寛美を刺すなんて言って楽屋に乗り込んだ

という物騒な事もあったらしい。

ところが、寛美に会って五分も経たないうちに、ニコニコしながら「寛美さん、また頼みます」と言って

帰ったなんて逸話が残ってる。いろんな所で書かれてるから本当の話と思う。


どうも、寛美は「誑し」のような気がするのだ。

誑しと言うと「女誑し」のことを指す場合が多いのだろうけど、寛美の場合は「人誑し」。

どっちにしろ、この言葉が浮かんだのは事実なんで、どうなのか調べてみたい気がするのだ。

非常に興味があるのだ。「人誑し」に。


それから、寛美は渋谷天外がいなくなってからの舞台のほうが寛美らしい気もする。

天外は、途中から文芸路線へと変わって行く。書いた脚本『乱れ友禅』の成功からと言う事のようだ。

この路線は寛美とは相容れないものだったように思う。


思うに、喜劇役者のあり方を変えてしまったのは森繁久弥とするのが、小林信彦の考えだ。

この辺りもどうなんか考えてみたいなあと。


森繁と言えば、甘粕事件の甘粕が満州にいた頃の話。

甘粕は宴会の席などで興が乗ってくると、よく満州の放送局のアナウンサー課長に余興をやらせたとい

う。満州の新劇運動にも力を入れていたアナウンサー課長の特技は、漫談。絶妙なユーモア感覚を醸し出

す話術は玄人ばりと評判だったらしい。

そのアナウンサーが、若き日の森繁久弥だったりする。


話がぐちゃぐちゃですんません。