老 稚 園
一がタダで原稿を出していたのだ。その頃の『ガロ』編集長は南伸坊。
いろんな人が、長井勝一のエピソードを書いているが、どうもこの人はビンボーを楽しんでいる様に見え
る。ケッタイな人だ。
いつものように余談だけど、事情があって売った本の中でいちばん高い値が付いたのが、青林堂の『つげ
義春作品集』だった。
その長井勝一の『「ガロ」編集長-私の戦後漫画出版史』の出版記念会での事。
南伸坊のこの一言から始まった。
「貧乏というのは、なにか棒のようなものではないでしょうか。カラダのなかにビンボーという棒が入っ
ているんですよ」と言いながら、肋骨のあたりをゴツゴツとたたいた。
渡辺和博、「そんな棒は手術でとったらなおる」。
林静一、「肋骨と背骨の中間あたりに、毛細血管状につながっており…簡単には除去できない」
赤瀬川原平、「貧乏は菌ですね。ウィルスのようなものだから人に伝染する」
そんな中、寺山修司の主治医であった庭瀬康二が話に割り込んできた。
「ビンボーは切らずになおる。ビンボーに効く薬があるから、薬で散らせばよい」
「貧乏とは状況でありつつも主観が混在し、金銭が貧富のバロメーターとなり得ぬのは戦後崩壊した共同
体幻想にあきらかである・・・観念としての貧乏はビタミンCで治り、状況としての貧乏はメデュトピ
ア・・・であるからして、心配することはないな。以上」そして、ウーロン茶を一杯飲みほして「貧乏が
なおる薬を置いていくから、あとで飲みなさい。」と帰った。
「ドクトル庭瀬が置いていった粉薬を飲むと泡がシュワーッとたって、キャベジンのような味がした。ど
うやら胃の消化剤らしく、たしかに貧乏菌が消えていく感じがした。」
メデュトピアというのは、庭瀬康二の造語だそうで、医療(メディシン)と教育(エデュケーション)を
結合した理想郷(ユートピア)ということらしい。
『ガン病棟のカルテ』というベストセラーの著者でありながら、本人もガンで亡くなっている。
『ガン病棟のカルテ』は読んでない。
「老稚園」という言葉にひっかかった。言葉だけならうなずけるのだ。あとは実体だ。
少し検索してみたら、中村了権という人ととの対談があった。
中村了権という人も知らない。
「医学というものは医術プラス言葉だと思う。」、「だからメデュトピアの医学では、その人間同士の言
葉を豊富に入れて進めたいと考えている。」なんて発言をしている。
とりあえず『ガン病棟のカルテ』を読んでみようと思った。「老稚園」の現在はわからない。
そんだけ。