笠原和夫

   
深作欣二の「仁義なき戦い」や山下耕作「総長賭博」の脚本を書いたのが笠原和夫

その遺作集に『映画はやくざなり』(新潮社)がある。

笠原和夫は2002年12月12日、肺炎で亡くなっている。76歳だった。


仁義なき戦い」で一貫して描かれていたもの。

それは、戦いには完全な悪も善も存在しないという事であり、この世界は「対立」などという単純な図式

で割り切れるものではないという事だ。

まあ、普通に生きていると、そんなことは理解できるのだが、組織とか思想とか宗教なんてものに絡め取

られると、それがわからなくなる人も多いのかも知らん。


仁義なき戦い」は朝日新聞の映画評で絶賛された。ヤクザ映画が全国紙で取り上げられることも初めて

のことだったそうだ。

「総長賭博」は今でこそ評価は高いが、公開時は全くといっていい状態だった。公開されてから一年以上

過ぎた頃、雑誌『映画批評』で三島由紀夫が絶賛してから注目された。


仁義なき戦い」のヒットで続編が作られていく。

ただ、二作目の『仁義なき戦い-広島死闘編』だけは他のシリーズと違っている。

「第一部がスクランブルみたいな荒っぽい群像劇だったので、これに満足しない東映固有のお客さんもい

るだろうと自分なりの判断もあった。そういう任侠映画以来のファン層に向けて、主人公の心情に突っ込

んだ情念の芝居を作ってやろうと思った。」と笠原和夫は書いている。


第二部『広島死闘編』は、山上光治という24歳で自殺する殺し屋に焦点を絞って作られた映画となる。

山上光治を演じたのが、北大路欣也北大路欣也というと、この映画を思い出す。すごかったです。

この山上光治を、深作欣二は「戦後の繁栄から取り残された階級」と捉えたが、笠原和夫は「戦争に行き

遅れた軍国少年」として描こうとしていたと書いている。

深作は昭和5年、笠原は2年生まれ。敗戦の年の15歳と18歳の差はこんなにもあるのかっと思った。


ところで、笠原和夫黒澤明のことも書いている。

「私は黒澤明監督を尊敬すること人後に落ちないが、「七人の侍」は見せ方が巧いだけで、それほど凄い

映画だとは思っていない。どうして七人は善人ばかりで、野武士の方は悪人ばかりなのか。ある種の画一

主義というか、あまり細かくナマの人間を追ってくれない。あれでは勧善懲悪の時代劇と変わらず、本当

の意味での集団劇、群像劇とは言えない。」


私も『七人の侍』は面白いだけ(それは凄いことだが)の映画だと思っていたのでなるほどと思った。

ちなみに、笠原の黒澤映画いちばんは『素晴らしき日曜日』。

私は、これ書いてて浮かんだのが『酔いどれ天使』と『野良犬』です。


そんだけ。