辻潤と『春と修羅』

   
宮澤賢治の『春と修羅』が出版されたのが1924年(大正13)の4月。

いち早く讀賣新聞紙上に取り上げたのが辻潤で、同年7月のこと。

ところで、数多くない辻潤本を読んでも辻潤宮澤賢治について書いたものを読んだ記憶がないのです。

辻潤が真っ先に『春と修羅』を絶賛したという事実だけが書かれているだけというのが多いのです。

なんでかは、わからんです。


辻潤讀賣新聞で『春と修羅』について、こんなふうに書いております。

 宮沢賢治という人は何処の人だか、年がいくつなのだか、なにをしている人なのだか私はまるで知

 らない。しかし、私は偶然にも近頃、その人の『春と修羅』という詩集を手にした。

 近頃珍しい詩集だ。――私は勿論詩人でもなければ、批評家でもないが――私の鑑賞眼の程度は、

 若し諸君が私の言葉に促されてこの詩集を手にせられるなら直ぐにわかる筈だ。

 私は由来気まぐれで、甚だ好奇心に富んでいる―しかし、本物とニセ物の区別位は出来る自信は

 ある。
 
 私は今この詩集から沢山のコーテェションをやりたい慾望があるが――。

 わたしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複

 合体)

 ―というのが序の始まりの文句なのだが、この詩人はまったく特異な個性の持主だ。芸術は独創性

 の異名で、その他は模倣から成り立つものだが、情緒や、感覚の新鮮さが失なわれていたのでは話

 にならない。

(略)

 ─若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら、私は「ツアラトウストラ」を忘れても「春と修

  羅」を携へることを必ず忘れはしない。
                               (『惰眠洞妄語』辻潤


「私は「ツアラトウストラ」を忘れても「春と修羅」を携へることを必ず忘れはしない。」と言い切って

ますから凄いです。

この『惰眠洞妄語』は、青空文庫で読むことが出来ます。



そんな話でした。