水木通り

   
加太こうじの『紙芝居昭和史』が岩波現代文庫で出てたので借りてきて読んでた。

『紙芝居昭和史』を再読するつもりはなかった。

解説が水木しげるだったので、そっちの方を読んでみたいと思ったのだ。水木しげるの文章も好きだ。


関係ないけど、富岡多恵子の『漫才作者 秋田實』の平凡社文庫の方は、解説が朝倉喬二なので、こっち

も読んでみたいと思っている。


「戦争で片腕を失い復員した僕は、東京で魚屋をやったり、リンタク屋をしていた。しかし、ぼつぼつタ

クシーも出回る時代になって、いまさらリンタクでもなくなった。いったん故郷・境港にでも帰ろう、と

東京を発ち神戸で一泊したところ、その安宿を「二十万円でどないだす」とすすめられ、アパート業でも

するかとそこに居着いたのである。神戸の兵庫区水木通にあったから、平凡に「水木荘」と命名した。」

こんなふうな事を書いている。

ここで、水木しげるは紙芝居の世界に入っていくことになる。そして、鈴木勝丸というバイニン(紙芝居

の演者)から、水木通りに住んでいるということで、水木とよばれ、そのままペンネームとしたとある。

本名は、武良(ムラ)。


その水木しげる加太こうじと初めて会ったときの印象が書かれている。

「やがて、御来駕された加太こうじ大先生は、まず、時代劇におけるキセルが、武士と町人とでどのよう

に扱う手つきがちがうか講義された。これはエライ先生だという迫力が十分で、僕はすぐ尊敬した」

また、紙芝居が衰退し、水木は貸本マンガへと転進するわけだが、「加太大先生はどうもマンガが描けな

かった。しかし、大変雄弁であったので、「評論家」というものになられたのであった。」と水木しげる

は書く。


故郷に帰る途中、たまたま泊まった下宿を買えといわれて買う。その下宿の住民の紙芝居書きから、売れ

っ子の紙芝居書きは毎朝、喫茶店でコーヒーが飲めるの一言に惹かれて紙芝居を書く。

いつも、こんな具合なポジションで生きている、水木しげるが大好きだ。


しかし、この加太こうじ評は微妙かも知れない。


病院から見える桜が、朝と別物のように散っていた。

帰りしなの、いつもの店が改装中で、弁当屋になるらしい。

前が何屋だったか思い出せない。

そんなふうなことは、よくある。


そんだけ。