水木通り
『紙芝居昭和史』を再読するつもりはなかった。
も読んでみたいと思っている。
「戦争で片腕を失い復員した僕は、東京で魚屋をやったり、リンタク屋をしていた。しかし、ぼつぼつタ
クシーも出回る時代になって、いまさらリンタクでもなくなった。いったん故郷・境港にでも帰ろう、と
東京を発ち神戸で一泊したところ、その安宿を「二十万円でどないだす」とすすめられ、アパート業でも
こんなふうな事を書いている。
の演者)から、水木通りに住んでいるということで、水木とよばれ、そのままペンネームとしたとある。
本名は、武良(ムラ)。
に扱う手つきがちがうか講義された。これはエライ先生だという迫力が十分で、僕はすぐ尊敬した」
また、紙芝居が衰退し、水木は貸本マンガへと転進するわけだが、「加太大先生はどうもマンガが描けな
かった。しかし、大変雄弁であったので、「評論家」というものになられたのであった。」と水木しげる
は書く。
故郷に帰る途中、たまたま泊まった下宿を買えといわれて買う。その下宿の住民の紙芝居書きから、売れ
っ子の紙芝居書きは毎朝、喫茶店でコーヒーが飲めるの一言に惹かれて紙芝居を書く。
いつも、こんな具合なポジションで生きている、水木しげるが大好きだ。
しかし、この加太こうじ評は微妙かも知れない。
病院から見える桜が、朝と別物のように散っていた。
帰りしなの、いつもの店が改装中で、弁当屋になるらしい。
前が何屋だったか思い出せない。
そんなふうなことは、よくある。
そんだけ。