親不孝「声」
どちらも二度目、再読ってやつだ。
ところで、小林信彦が喜劇人について書いたものが好きだ。
「芸は好きだが<芸人>は嫌い」は小林の言葉。
だから、少し以上に距離を置いたところから、芸人の「芸」を観察するのがいいのだろうと思う。
そんな中で、植木等について書いたものが気になった。
他の喜劇人と違って、距離感がとれていない書き方、そんな感じがしたのだ。
これは、小林自身が植木等と同じ空気の中で生きていたからかも知れない。
ようするに、植木と小林自身が重なる部分があるので、小林が植木等について書く=自分について書かざ
るを得ないからではと思ったりもする。
それはもちろん、書くとヤバイからでなく、自史にならざるを得ないからという意味だけども。
その辺りは、小林の自伝的長編『夢の砦』を読めば、なるほどと思ってもらえるはずだ。
「『ニッポン無責任時代』のヒットは、<個人の幸福に関して何の責任も持たない体制に対しては無責任
な態度で居直るはかはない>というメッセージを観客が受けとめたからである。この「たかがB級映画」
は、大島渚をはじめ、多くの若手映画人、批評家にショックをあたえた。」(「喜劇人に花束を」より)
高度経済成長と同時進行し、ホントは真面目な「無責任男」というイメージは、映画がシリーズ化され
て、変質したのだ。「男はつらいよ」もそうかも知れない。
ところで、小林は植木等の声を「親不孝声」と名付けている。
これ、うまいこと言うなぁと思った。たしかに、そんな感じや。
「植木等に聞いた話で忘れられないのは、ステテコいっちょうの父君が少年だった彼を仏様の前に連れて
ゆき、物差しで仏様の頭を叩きながら、「こら、ヒトシ、この音をきいてみろ。金ピカだけど、中は木
だ。金じゃないぞ。おまえ、寺を継ぐとしても、こんなもん拝んで、どうにかなると思ったら、大間違い
だ。これだけは覚えておけ」と諭した話だ。」(「喜劇人に花束を」より)
者として労働運動、部落解放運動に参加したという。60代で安保反対のデモに参加したような人らしい。
小林は「蕩児」のような人だったと書く。
「蕩児」は久しぶりの言葉だ。
そんだけ。