忘れていくということ

たしかに、オトンはオカンの名前を忘れていることが多い。

いや、ほぼ忘れている。

だからといって、長年連れ添った嫁ハンの、名前を忘れる事ぐらいは、そんなに大したことでもない。

名前を持って生まれてくる奴なんて見たこともないのだ。

そのうち、顔も忘れていくだろうけど、それも似たようなもんだ。

誰だって、いろんな事を覚えていっただけで、はじめから身につけて、フンギャ~と生まれてきたりする

わけもない。

覚えていかないと、生きにくかったりもするし、時々は「アホ」だとか「人でなし」だとか言われたりも

するから、覚えていくだけだ。

犬、猫にトイレを教えるのとおんなじで、犬、猫にとってはどうでもいいことだけど、飼い主はそうはい

かないらしいから、アメとムチで教えるのだ。

教えられたのだ。仕込まれたのだ。


「役に立たない人間を育てる」、たしか文化学院創立者が言ってたけど、そんなのがいちばんだ。


そんなんで、名前、年齢、住所・・・そんなものは、<ここに住むのだったら、守ってもらわないとあか

んからね>程度の面倒くさい約束事以上のもんでもない。

ときどき、そんな面倒くさいもんを背中に乗っけてるのに、なおその上に「天命」だとか「使命」だとか

いうもんを背負って、身動き出来ない人を見たりすることもある。

「大変ですなぁ、ご苦労さん」としか言いようがなかったりする。


いつものように、大きく話が変わっている。


「忘れる」という話だ。

入院中のオカンは、現金で、大中小のヘソクリを隠している。

先だって、私にこう言いよった。

「急な時には、ヘソクリがあるから、使こうて」

「ああ、あこのタンスの三段目の奴と、それから・・・」

「何で知ってんの?」

「・・・」

オカン、とっとと、忘れろ。









・・・忘れるところやった。

そんだけ。