『悪名』

 
  「おい、兄貴。こちはな、今まで親の肩も揉んだことのない親不孝者じゃい。何所の馬の骨かわ
   からんような古参兵たらいう奴の言いなりになっていられるかれ」

  「そんな量見では営倉行きや。われの強情押し通せるか」

  「押し通したるわい」


今東光の『悪名』の最後はこんな終わりかた。

ちなみに、書き出しはこんなの。

  「薫風が茶の間に吹き込んで来ると、河内野は初夏を思わせる気候だ」


勝新太郎が、今までの白塗りの二枚目からダーティーヒーローに変貌して大スターになった記念碑的映画

でもある『悪名』。

今東光の原作を読んだ。

A6版で二段組、299頁と予想を超えた長さだった。

週刊朝日」で、獅子文六の『大番』の後の連載だったそうだ。

本の方は、1961年10月30日が初版。ちなみに映画は61年9月。


今東光自身は後書きで、この作品についてこう書いている。

この主人公の住んでいる土地は、昔は摂河泉と略称せられたところで、この摂津と河内と和泉の国は一つ

の共同体であったことは疑いを容れぬ。従って其所に住む人間は、共通の感情に生き、その表情にも著し

い類縁性が見られるのだ。

彼等ほど愛郷心に富むものはない。そのくせ彼等の暮らし振りほど孤立したものはないのだ。一般的には

利己的に解されるこの孤立は、彼等のひそやかな冒険心と似ている。遠大な計画を描きながら、決してそ

の土地から離れようとはしないのだ。しかしながらこの主人公は是非なく諸方を遍歴するが、行く先々を

自分の郷土色で彩色しなければ気がすまない。

<略>

作者が描こうとするものは現世出世を計量して総理大臣になろうとするような人物でなく、一年三百六十

五日を如何にして無一文で安楽に過ごそうかと智慧を絞る人物だ。そういう愛すべき悪漢でないと作者は

友人に持ちたいとは思わないのだ。

もっと面白い本だと思う。

今回は読む方が、リズミカルでない、へたくそな「モグラ叩き」のような毎日が続いていたので、もう一

つ乗れなかったのが残念な気がする。


そんだけ。