ぜ ん ざ い

ぜんざい=つぶあん、ほんで、しるこ=こしあん

これ、大阪人やったら当然です。

ところが、関東の方では違うらしい。

・・・関東地方のおしるこ(種類)がぜんぜいです。ぜんざいには地域によって色々な種類があり、その

うちの一つがおしるこにあたります。おしるこはぜんざい、といえますがぜんざいはおしるこ、ではない

ということです・・・とヤヤコシイ話になっている。

詳しくは「ぜんざい」と「しるこ」を→http://q.hatena.ne.jp/1169379803


そんなんで、無理矢理ですが、織田作之助の『夫婦善哉』。

出た時は、けっこうボコボコにされてたりするのです。

  一読して何かいやな小説だと思った・・・中村光夫

  とっちゃん小僧・・・高見順

  不潔・・・杉浦明平

あとに続くのは「思想がない」、「史観がない」、「社会性がない」、「志が低い」、「若さがない」、

「汚い」、「職人根性」、「人間冒涜」、「軽佻浮薄」・・・こんなんやったそうです。


夫婦善哉』が出たのは、昭和15年です。

この時代で「思想」というと「皇国史観」か「左翼思想」ということになるかと思います。

そんな「思想」がないというのは、けっこうな事やと思うわけです。


ところで、武田麟太郎という人の作品に『釜ケ崎』というのがあります。

先だってから、この武田麟太郎という人に興味があって、少しずつ読んだりもしてるのですが、この人は

プロレタリア文学の星」やったそうです。

で、当然のように行き詰まって、東京から大阪に帰ります。

大阪に帰って、井原西鶴を思い出したそうで、西鶴のように、善悪や美醜を超えて、一切の観念を捨てて

人間をありのままに見、それを書くのだと決めたようです。

そんな流れの中で、釜ケ崎に入り浸って、そこに蠢くように生きてる人たちを、書いたのが『釜ケ崎』と

いう作品のようです。

西鶴は、ほとんど詳しくないのでわからんですけど、流れは何となくわかります。


そういえば、『無思想人宣言』なんて書いた、大宅壮一も、大阪の高槻市は富田(とんだ)の出身です。


どうも「無思想」は「たこ焼き」と同じように、大阪名物かも知らんなぁと思うたりします。


川端康成も、天満で生まれて、茨木で育ったひとです。

最近、気になっているのです。よう読んでないけど、この人からも「思想」という言葉は浮かんで来んよ

うな気がする。


そんだけ。