キタとミナミ

 
キタとミナミ。

キタは「大阪市の一地区を指し示す呼称である。難波周辺をミナミと呼ぶのに対して、大阪駅・梅田駅周

辺をこう呼ぶ。」とWikipediaに書いてるけど、そんなんです。


私はキタでした。

だから、中島らもさんの本には、記憶にあるキタが出てくるので、「そや、そや」と頷きながら、読んで

たりします。


ところで、織田作之助武田麟太郎はミナミの人です。

道頓堀、難波、心斎橋の人です。

これは、大阪に住んでいるとわかるのですけど、ミナミはやっぱりキタとは違う空気があります。

というか、ミナミこそ、生粋の大阪と思うてます。


キタには、船場や北浜が含まれます。

東京にも通じる大きな企業がありますから、転勤者も多いです。

ようするに、標準語も日常で聞こえたりする街です。

川端康成は、天満で生まれて茨木で育ちました。


・・・関係ないですけど、初めて大阪に来た、茨城の人に言っときます。「イバラキに行くには?」と尋

ねる時はは注意してください。ほとんど100%の確率で「イバラギ=茨木」に行く道順を教えられます。
  

川端康成と親しかった、梶井基次郎は、土佐堀で生まれてます。大阪は西区です。

この人たちからは、大阪をつよく感じることはないです。


これが、キタとミナミの差であるかどうかはわかりません。

私は、西鶴近松を深くは知らないのですが、織田作之助武田麟太郎西鶴の流れを汲むとし、川端康

成や梶井基次郎近松的と見る。そんな捉え方もあるようです。



えらいもんが出て来よったです。

まぁ、オモロそうやから読んでいったろ思います。


話はそれるけど、他国の言葉の作品なら抵抗なく翻訳を読むのに、日本の古典の「現代語訳」を読むこと

に、抵抗があるのはなんでやろ?

原文でスラスラ読めるわけもないけど。


そんだけ。