まとまらん話…千林商店街-中内功-織田作之助-石原吉郎
で、
『日本三文オペラ』といえば、もう一人、同名の小説を書いた人がいます。
開高健です。
開高の『日本三文オペラ』は、陸軍造兵厰跡の鉄くずを盗む人たちの陽気で猥雑で生気溢れる姿を、大阪
弁で描いております。
で、で、
これは、会話はもちろん、地の文まで大阪弁が散りばめられてたりします。
この、作品の中で、エロ本やブルーフィルム作ってる連中が根城にしてるのが、大阪旭区の千林や森小路
辺りです。
が開店します。
で、で、で、
足立巻一の『関西人』は、NONAJUNさんの記事で知りました。
で、で、で、で、
てきた中内功という時間的な差は当然ありますが、それだけとも言えないのです。
で、で、で、で、で、
んなことを書いております。
第二部『広島死闘編』は、山上光治という24歳で自殺する殺し屋に焦点を絞って作られた映画となる。
た軍国少年」として描こうとしていたと書いている。
深作は昭和5年、笠原は2年生まれ。敗戦の年の15歳と18歳の差はこんなにもあるのかっと思った。
こんな違いが、足立、佐野両者の「中内功」にあるように思いました。
さいごの、で、
この事を考えてて、私は、二つの作品を思い出しました。
一つは、織田作之助の『大阪の憂鬱』。
これは、1946年(昭和21年)の作品です。
ここに、こういう事が書いてあります。
いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを 注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。 私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。 「まるで大阪みたいな奴だ」 所が、きけばその青年は一種の飢餓恐怖症に罹っていて、食べても食べても絶えず空腹感に襲 われるので、無我夢中で食べているという事である。逞しいのは食慾ではなく、飢餓感だった のだ。私は簡単にすかされてしまったが、大阪の逞しい復興の力と見えたのも、実はこの青年 の飢餓恐怖症と似たようなものではないかと、ふと思った。
もう一つは、石原吉郎です。
戦後のシベリア抑留の体験を持つ、石原吉郎は書きます。
「礼節」 いまは死者がとむらうときだ わるびれず死者におれたちが とむらわれるときだ とむらったつもりの 他界の水ぎわで 拝みうちにとむらわれる それがおれたちの時代だ だがなげくな その逆縁の完璧において 目をあけたまま つっ立ったまま 生きのびたおれたちの それが礼節ではないか
NONAJUNさんは、「サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)」という視点で「中内功」について書か
れた二冊を記事にされてます。
その記事に対する感想と思うたのですが、まとまらん話になってもうたです。
そんだけ。