シ ソ ー

 
疲れた時は、酒呑むか、美味しいもん食うか、風呂入って寝るのがいちばん。

そんなんで、織田作読んでたりする。

織田作は、大阪の作家やから、歩いて五分の書庫代わりの図書館にもぎょうさんあります。

   思想という言葉は便利な言葉であるから、すこぶる流行し、誰でも使いたがる。 

   まるで電車の回数券のようにポケットに入れて、 

   必要に応じて一枚ずつちぎって渡してそれでうまく 

   目的地へ運んでくれると思うのは、余りにもあなた任せだ 

                         -織田作之助『小説の思想』

とか
   「小説の中にある思想」と「小説の思想」とは厳密に区別して考えられねばならない。

   「小説の中にある思想」とは小説家でなくても誰でも持ち得る思想であるが,読者は往々

   にしてそれのみを読み取ろうとし、「小説の思想」には眼もくれない。文楽の人形芝居に

   は思想がないというが、しかし「人形芝居の思想」は厳然としてある。「小説の思想」と

   はこの倣いである。

                           -織田作之助、同上


そんなん書いてます。


織田作が、文壇からの批判で、いちばん堪えたのが「思想がない」やったみたいです。

で、織田作は一気に反撃に出ます。


あんたらが言う思想は、小説の中の思想やんけ。そんなん、特定のイデオロギーちゅうもんや。

ホンマの小説の思想ちゅうのは、人間を描く事にあるんやないかい。


と、『小説の思想』で、そんなん言うてます。


私も昔から「シソー」がないとか「シソー性の問題や」言われたりしました。

梅干にくっ付いてる紫蘇も食ったですけど、シソーは身につきませんでした。

ただ、ここまで生きてきた経験で言うと、「シソー」を云々する人は、たいがいが誑しです。


そんだけ。