『どうすればいいのか』

 
  自分は人間の幸福の第一条件を無智と健康とに還元しようと思います。
  
  従って私は近代の文明生活を如何なる方面から見ても謳歌することは出来ません。
 
  人間は、自分が万物の霊長だなどというとんでもない妄想を抱くより、まず自分が哺乳動物の

  一種であることを自覚した方が余程ためになります。

  ですから人間が動物らしく生きれば生きるほど無理がなく、自然に健康に無邪気に生きること

  が出来るのだと考えています。

  もちろん人間は猿でもなく、犬でもないことはわかっています。

  しかし自分が動物だということを忘れてはいけません。

                             -辻潤「どうすればいいのか」


『どうすればいいのか』は、昭和4年(1929)、辻潤、45歳の時の出版です。


【辻潤のひびき】の年譜によれば、こんな具合な暮らしぶりだったようです。

  一月一日 村松正俊と共にシベリヤ鉄道の三等に十数日ゆられ、京城の汽車の中で正月を迎える。        (「帰朝漫談」)
 
  一月三日 午前九時何分かに品川駅に着く。(「ものろぎや・そりてえる」)
 
       東京市荏原郡碑衾町大岡山三九番地に落ち着く。大津澗山をはじめ、相変わらず人の出
       入りが多く、酒盛りの日々がつづく。
       帰国後、ほとんど仕事をしない。(「ものろぎあ・そりてえる」)
       洋行してかえってから、ひどく疲れが出て、この年の前半は殆ど毎日ねてくらす。
       (「ひとりの殉難者」)
 
  二月ころ 大岡山のたった一軒の若い古本屋「無有奇庵」(児玉明人)と知り合い、親しくなりしば
       しば出入りする。近所住まいの木庭孝、木蘇毅、鴇田英太郎、鈴木義広らと無有奇庵の二
       階を溜り場にして酒盛りをひらいたり、泊り込んだりする。上司小剣、相田隆太郎、宮前
       一彦らとも知り合う。
 
  四月   『どうすればいいのか?』を昭光堂文芸部より刊行。

この本が出版された1929年は、山本宣治が殺されたりしてます。それから、小林多喜二の『蟹工船』や徳

永直の『太陽のない町』が出版された年でもあります。


まぁ、ロクでもない時代ではあります。


憑かれた人たちが、ぎょうさん出てくるとヤヤコシイことが起こります。

憑かれた人については、またの機会にします。


そんだけ。