『辻潤と低人教』

 
辻潤が、生前に出した著書から、翻訳等を外して時系列で並べてみると、なかなか面白い。


『浮浪漫語』大正11年(1922)

ですぺら大正13年(1924)

『どうすればいいのか?』昭和4年(1929)

『絶望の書』昭和5年(1930)

『廃人の独言』昭和10年(1935)

『孑孑以前』昭和11年(1936)・・・孑孑はぼうふら。


浮浪して→デスペレートして→どうすればいいのか?と思い、再び→絶望して→廃人になって→孑孑以前

の状態となってしまうわけだ。


   「私は太陽の如く希望に輝いている。」と云う文句と、
   
   「私は痩犬の如く人生に疲れている。」

    と云う文句を書くには同一の努力がいる。
  

辻潤は『にひる・にる・あどみらり』に、こんな事を書いてたりするけど、そうかも知らん。



辻潤を知りたいと思うなら、萩原朔太郎が書いた、『孑孑以前』の跋文『辻潤と低人教』を読んでみてく

ださい。



そんだけ。