憑かれた人

 僕はニヒリストになることが人間としての最上の生き方であるとも云わなければ、諸君のすべてに

 ニヒリストたれとも命じはしない。唯だ僕は自分の考え方を極めて率直に語っているに過ぎない。

 一切は生きている上の話である。死んでしまえば、ニヒリズムアナキズムもアブの頭も蜂の尻尾

 もヘチャムクレもあったものぢゃない。

こんな具合で、いつも辻潤を読んでて感じるのは、洒落っ気であり、明るい絶望であり、この世に対して

開き直った不貞不貞しさだったりする。


辻潤とイコールのような人である、M・シュティルナー

辻潤が訳した、シュティルナーの『唯一者とその所有』について、辻はこんな事を書いている。


 スティルネルは、通常個人主義無政府主義者、若しくは哲学的無政府主義者と見倣されて居ま

 すが、彼は彼の書物のドノ部分にも自分はエゴイストであると言って居ますが、アナキストである

 とは決して申して居ません。

 彼は何のイズムをも認めては居ません。だから彼に教義があるとすれば、それは教義のない教義だ

 と言はなければなりません。

 彼の至上命令(若しそんなものがあるとすれば)は唯だ「汝は汝の汝であれ」「汝は汝の汝を生き

 よ」であります。

 「予は斯々の真理を説く故に諸君は予の真理を遵奉し、それに従って生きざる可からず」と言うよ

 うなことは、何処にも申して居ません。

 スティルネルの眼から見れば、凡て或る主義や教義を奉じ、それを唯一神聖の真理であるかの如く

 信じて、それに仕える人々は、それが社会主義者(例えばマルクス)であると無政府主義者(例え

 ばクロポトキン)であるとを問わず、悉く理想主義者であり、彼の謂る「憑かれた人」なのであり

 ます」


むかし、三浦布美子がテレビから、憑かれたあなたって嫌っ!とゆうてくれた。

私が、若星十八歳の時やった。


あれから、私は・・・


ん?あれは疲れたやったか。


すんません。