『無想庵に与う』

 
「如何に生きるべきかをつとに止めてしまった僕には、とり立てて口にすべき問題はないのだ。」


こんな事を、辻潤は書いてます。

昭和6年(1931)の6月、雑誌『かめれおん』に掲載された『無想庵に与う』というエッセイ。

これは、後に『廃人の独語』に収録されております。

この年、辻潤は47歳。

パリから帰り、蒲田に住んでおります。

前年は、『絶望の書』を出し、また生田春月の自死、宮嶋資夫の出家があり、そして、最後の女性、松尾

季と出会っております。

翌7年(1932)には、とうとう天狗になったりします。

このエッセイで「ベドラム」なんて言葉が出てきてるのが、それを予感させます。


ところで、武林無想庵と中平文子の間に出来た子がイヴォンヌ。

イヴォンヌは、辻潤伊藤野枝の子、辻まことと結ばれます。

イヴォンヌを巡って、辻まことと争ったのが、詩人、山本露葉の息子、山本夏彦

この辺りは、山本夏彦の『無想庵物語』に詳しいけど絶版。

画像は、辻まことと交流のあった、竹久夢二の息子、不二彦による、辻潤のスケッチ。

いろんな生が交差します。


『無想庵に与う』。

私のお気に入りの一つです。

では・・・。


   『無想庵に与う』
 
 なにかいうことが沢山ありそうでなんにもない。どうしているかと時々考えてはみるが考えたと

 ころでどうにもならん。サヴビヤンならば他に文句はない。
 
 如何に生きるべきかをつとに止めてしまった僕には、とり立てて口にすべき問題はないのだ。い
 
 やに静かで自由だ。

 流れをせきとめるものがない。塵芥の中にまみれても更に気にならん。ただ長生きがしたいばか
 
 りだ。
 
 自分はこの世に生まれたことを近頃やっと悔やまなくなった。さまざまな心の苦しみは遂に無駄
 
 ではなかった。
 
 自分は恥じるところを知らなくなった。あらゆる悔蔑や罵詈はそのまま楽しく受けることが出来
 
 るようになった。
 
 ポーズの必要をまったくかんじなくなってしまったのだ。
 
 しかし振子は不断に動いているから、客観的に自分が色々な姿をとることは止むを得ない、とい
 
 うよりも自分が全然没却されてしまったといった方がいいかも知れない。
 
 世に理想や論理ほど人を誤まるものはない。人間がそれを脱却しない限りこの世は絶望である。
 
 智識は徒らに人を迷妄に陥らせる。科学は走馬燈のようなものだ。しかし人はいずれにせよ走ら
 
 なければならない。ただ彼がそれを自覚しているか否かが問題なのである。
 
 やがてまた花が咲く。麗らかなのは無心の子供ばかりである。まことに赤子の如くならずんば人
 
 は天国に住むことは出来ない。夢幻という実感を味わうにはかなりの修行を必要とする。言葉の
 
 みを繰り返してそれは畢竟言葉であるに過ぎぬ。
 
 時節が来たらかえって来たまえ。おれはこないだから油を売っているんだ。なにを売るかと尋ね
 
 ることは不必要だ。
 
 赤い提灯に 「よ太」という字が書いてあり、娘がダラリの帯をしめて背中を向けている。中に
 
 は爆薬がひそんでいるのだ。金の蝙蝠が二匹飛んでいる。自分とかれ等とは三角形の関係に立っ
 
 ているのだ。
 
 別にいうことがないから今までいったことはすべて取り消すことにする。
 
 安らかに床につきたまえ。
 
 ………………………………………
 
 これを無想庵に宛てる消息の代用とします。
 
 しかし、必ずしも彼にのみ宛てたものではないのです。どうせ誰か読むにきまっているから。
 
 蝶々蝶々菜の葉にとまれ、菜の葉が倦いたら桜にとまれ…幼稚園で昔覚えた唱歌です。
 
 風がないので嬉しい。僕は風がきらいなのですよ。
 
 これを科学者と称するドクトルに診断させると、僕は明日からベドラムの住人にまちがいなくな
 
 れるでしょう。


ところで、サヴビヤンってどういう意味かわからんです。


そんだけ。