シ區・・・あわ
事情があって(たいした事情ちゃうけど)【シ區】を外字で作った。
そんなんで、辻の潤さんは『にひるのシ區』。
一切は生きている上の話だ・・・死んでしまえば今日死んだ人間も、百年後に死ぬ人間もつまりは同じ事
になってしまう。世の中で一番確かなことといえばまずその位なものだ。
こんな書き出しです。
忘れようとして思い出せない若い頃、京都は駸々堂京宝店(もうおまへん)で、立ち読みでこれに出くわしたとき
に、思わず「はい」というてもうた。
何度か書いたけど、金持の金貸し(そうでないのもおんねん)のオッサンに、これやると鞄もうたけど、どうみても
似合わん。
そんな具合にええもんでも、似合う・似合わんはある。
辻潤は、人はどうか知らんけど、ワテは似合う思うたわけです。
はい。
そっからワテは腹が決まった気がする。ただし、生活上は相変わらずブレまくってたけど。
修行や思うて読み通したけどワケワカラン。
その頃は土方してたし、ロードーの後に読めるもんちゃう。
どもこもならん思うたら、ちゃんと辻の潤さんが前書きでおいしいとこ書いてくれてた。
こんなの。
ニイチェは「超人」を説いたた。スチルネルには「超人」の要はなかった。
「超人」は「人間らしい人間」、「真人」などと同様、スチルネルには無用な幻影である。
自分は「血肉の自分」で沢山である。(仏教の「即身成仏」参照)
人は生まれながらその人として完全である、その人として生長し、その人として死ねばそれでいいので
ある。
「真人間」にも「超人」にも「犬」にも「仏」にもなる必要もなければ、また他から「なれ」と命令を受けること
も無用なのである。-辻潤「自分だけの世界
今日も読み直して、なるほどなぁと思うた次第です。
ほな。
・・・で、結局は外字が反映されへんから「シ」+「區」で「シ區」のアワ。
・・・・あわわわ!
ほなのほな。