宮本常一 『萩の花』 より

 
五月六月頃までは海の物などまだすべてがヤミに流れることもなくて、三日に一度く
 
 
らいは鰯の配給もあって、配給の触れがまわってくると、家の者たちはいそいで販
 
 
売所まで買いに行った。
 

おなかの中の子が生長したら、そうした苦しい日、その親たちがよい生活を築くため
 
 
に苦心したことをも語りきかせようとも思っていた。
 
 
世の中の秩序は乱れ、道徳は退廃したと言いつつも、私たちは村の中にあって、家
 
 
庭の中にあってよりよい生活を打ち立てるのに懸命であった。
 
 
恐らく日本の村のどこも今までに見られぬ真剣な努力が、暗いもの、よこしまなもの
 
 
のみなぎるなかにおいて、行なわれていると思われる。
 
 
それがやがて村人たちに明るい平和なものを取り戻す力となるであろう。
   
 
われわれはそうしたささやかな努力のあとを子供たちの上に刻みつけて意志の強い
 
 
愛情の深い人間たらしめたいと思っていた。
          
                               -宮本常一「萩の花」