貫太と日下部

 
十代の頃から二十五くらいまで生活の基本は日雇いやったわけです。

合間合間に違うこともやったけど、ややこしなったら、釜に戻っての繰り返しやったです。


ところで、大阪では日雇いというか立ちん坊のことをアンコいいます。これは魚のあんこうが餌が来るの

をじぃ~と待ってる姿から、そう呼ばれ出したもんで、東京の立ちん坊より洒落てる気もします。

・・・ちなみに飯場から逃げることをトンコいいます。キシシ。^ω^


日雇いの現場で、同い年くらいの人間にも出くわす事も多かったです。

だいたいが、学生さん。

歳が近いから、それなりに話しもしたんですけど、どうも話が合わんので、私はオッサン達とおる事の方

が多かったし、居心地もよかったです。

学生さんにとって、この仕事は、何者かに成るための通過点でしかないわけですけど、こっちはその日暮

らしの糧やったから。

時々、三十も過ぎて、ほんまは何者にもなれんのわかってても、まだしがみついて、土方仕事の現在を誤

魔化そうみたいな人もおったです。


私は働いて貰うた金で一杯やって、食うて寝て、本読んでくらいでじゅうぶんやったんで、何者かになろ

うなんて思うたこともなかったです。

その辺が、飯場で会うた学生さんとの違いやったわけです。

それに、学生さん達の「何者か」は、せいぜい職業でしかなかったから、オモロもなんともなかったし。


西村賢太の『苦役列車』を少し前に読みました。

作中の貫太と日下部のズレは、そやからようわかりました。


苦役列車』は「最早誰も相手にせず、また誰からも相手にされず、その知った私小説作家、藤澤清造

作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人生

だった。」で終わります。


その藤澤清造について、西村賢太は「従来の他者の評価はどうあれ、すくなくともこの作は、一人の読者

の人生を変えた。そうした力を持っている小説であることは間違いない。人生を変えられた本人が言うの

だから、間違いようがないのである。」と書いてはります。

そら読まなあかんなぁ思うて、こないだ読みました。


ほな。