『東京語のゆくえ』の行方

 
『東京語のゆくえ』。國學院大學日本文化研究所編(東京堂出版・1998年)

副題が「江戸から東京語、東京語からスタンダード日本語へ」。

何となく、タイトルで借りてきた。


この本の中では標準語の普及に力となったものを二つあげてます。

一つはテレビ。

「1964年の東京オリンピックを契機に全国世帯の80%を超えるわけです。テレビというのは話すことば

だけでなく表情もアクションもみんな入ってしまうわけですから、これは強力なメディアであって、地方

言語の急速な標準化、あるいは画一化というものをもたらした。」と書いてる。

ラジオやけど、これは、昭和17年で、全世帯の半分の普及という事で、限界があったとしている。


もう一つは、軍隊。

「一般社会とはちょっと異質な独特なことばではあったのですが、明治以来の軍隊教育、これは全国の壮

丁を画一的に教育して、よそ者と話が出来る人たちをつくっていったわけです。」と書いてます。


国家の共通語=標準語推進という中では<方言札>というものまで登場してます。

これは、はじめて知った事です。


・・・「標準語励行運動」を象徴するものに「方言札」がある。県内各地の学校で用いられた罰札で、方

言を使った生徒に渡された。首からつるす形を取ったものもある。

〇七年ごろから存在したといわれる方言札は、いわば方言取り締まりのための集団監視的なもので、方言

軽視につながる一因ともなった。

 昨年十二月に実施したアンケートでの、方言札経験者の最年少は三十八歳。少なくとも三十年前ほどま

では存在していたようだ。

 方言札経験者から「札を持った人が友達の足を踏んで『あがー』と言わせ、札を渡していた」というよ

うなたぐいの話を聞く。遊び感覚でやっていたという意見もあったが、中には「小学校のとき、方言以外

の言葉が分からなかったので、口数が少なかった」という意見も寄せられた。少年期に受けた心の傷をう

かがわせるものだ。

 方言札ではないが本島南部の男性(36)は「小学校でげんこつ」、中部の男性(44)は「中学二年

のとき先生からびんたされた」「当時週訓で『共通語励行』があった」と回答するなど、学校現場での方

言軽視の風潮が、根強く残っていたことが分かる。・・・



ここまでで、返却期限となったので、返しに行った。

ということなんで、「東京語のゆくえ」は、行方知れずのままです。



ところで、gooの辞書でみたら、こんな具合になってた。

  ぼ ご 【母語

  (1)ある人が幼児期に周囲の大人たち(特に母親)が話すのを聞いて最初に自然に身につけた言語。

  こくご 【国語】

  (1)国家を形成する成員が自国語として使用し、共通語・公用語となっている言語。


ということは、国語は、国家が自らの支配を容易にするために作り出された人工語。

母語は、生まれた時から、両親や生活圏内で教えられて、使われ続けている言葉。

ということになるのか。


  私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。

  祖国は国語だ。それ以外の何物でもない。

と、エミール・シオランゆう人は言ってたりする。


それなら、間違いなく「大阪人」ですなぁ、私は。

そんで十分です。


そんだけ。