『東京語のゆくえ』の行方
副題が「江戸から東京語、東京語からスタンダード日本語へ」。
何となく、タイトルで借りてきた。
この本の中では標準語の普及に力となったものを二つあげてます。
一つはテレビ。
「1964年の東京オリンピックを契機に全国世帯の80%を超えるわけです。テレビというのは話すことば
だけでなく表情もアクションもみんな入ってしまうわけですから、これは強力なメディアであって、地方
言語の急速な標準化、あるいは画一化というものをもたらした。」と書いてる。
ラジオやけど、これは、昭和17年で、全世帯の半分の普及という事で、限界があったとしている。
もう一つは、軍隊。
「一般社会とはちょっと異質な独特なことばではあったのですが、明治以来の軍隊教育、これは全国の壮
丁を画一的に教育して、よそ者と話が出来る人たちをつくっていったわけです。」と書いてます。
国家の共通語=標準語推進という中では<方言札>というものまで登場してます。
これは、はじめて知った事です。
・・・「標準語励行運動」を象徴するものに「方言札」がある。県内各地の学校で用いられた罰札で、方
言を使った生徒に渡された。首からつるす形を取ったものもある。
〇七年ごろから存在したといわれる方言札は、いわば方言取り締まりのための集団監視的なもので、方言
軽視につながる一因ともなった。
昨年十二月に実施したアンケートでの、方言札経験者の最年少は三十八歳。少なくとも三十年前ほどま
では存在していたようだ。
方言札経験者から「札を持った人が友達の足を踏んで『あがー』と言わせ、札を渡していた」というよ
うなたぐいの話を聞く。遊び感覚でやっていたという意見もあったが、中には「小学校のとき、方言以外
の言葉が分からなかったので、口数が少なかった」という意見も寄せられた。少年期に受けた心の傷をう
かがわせるものだ。
方言札ではないが本島南部の男性(36)は「小学校でげんこつ」、中部の男性(44)は「中学二年
のとき先生からびんたされた」「当時週訓で『共通語励行』があった」と回答するなど、学校現場での方
言軽視の風潮が、根強く残っていたことが分かる。・・・
ここまでで、返却期限となったので、返しに行った。
ということなんで、「東京語のゆくえ」は、行方知れずのままです。
ところで、gooの辞書でみたら、こんな具合になってた。
ぼ ご 【母語】
(1)ある人が幼児期に周囲の大人たち(特に母親)が話すのを聞いて最初に自然に身につけた言語。
こくご 【国語】
(1)国家を形成する成員が自国語として使用し、共通語・公用語となっている言語。
ということは、国語は、国家が自らの支配を容易にするために作り出された人工語。
母語は、生まれた時から、両親や生活圏内で教えられて、使われ続けている言葉。
ということになるのか。
私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。
祖国は国語だ。それ以外の何物でもない。
と、エミール・シオランゆう人は言ってたりする。
それなら、間違いなく「大阪人」ですなぁ、私は。
そんで十分です。
そんだけ。